2016年10月25日(八段語録2941)
勝利の道(25)
道場の報告を聞くにつけ、順風満帆とはいかないようです。この極真の道は厳しいようです。その厳しさに、ついてこれないという道場生も、ちらほら現れてきてしまいます。残念な事ですがそれでも、前進しなければ、逆境を突破することが出来ないという事です。極真の願いとしては、千人の従うだけの人よりも、一人の指導者を育てようとすることです。どのような事があっても、勝利の道は、前進しなければならないという事を、自覚するのです。
色々と、ごちゃごちゃしたことがあった時代は過ぎ去り、新しい時代が目前に近づいているのです。確かに、この理念を以って、多くの人を教育するですが、現代社会の乱れようからすると、難しく手ごわすぎます。それでも、必ず極真の神髄を受け止めてくれる、道場生が多数現れてくれると信じているのです。何故ならば、社会における威厳に満ちた団体が、いつの間にかすでに、斜陽の道に近づきつつあるのを目の前にします。そのような社会に対して、一石を投じるというのが武道精神を基にした、極真会館ではないかという気がするからなのです。しっかりとした道徳基準を示すことが出来るのも、武道である極真ではないかと確信もするのです。
さて、それでも、他の団体の事よりも、極真自身も生き延びる道を模索しなければならないのです。それにもまして、青少年教育によって、社会の腐敗も防がなければならないという事です。この極真会館手塚グループにおける、青少年に対する教育は、厳しいかもしれません。しかし、社会をより良くするリーダーを、育成するという役割を持つには仕方がないかもしれません。実際に社会をリードする役割を持つことが出来る指導力を、武道精神をもって、あらゆる分野で生かそうとするのです。国が問題ではなく、社会が問題ではなく、自分自身の姿勢が問題であることを知って、自らを鍛え直そうとする若者がいなければならないという事です。自己管理という課題は、大変な自己犠牲を伴います。それでも、しっかりとした土台を準備して、極真の理念と関係を持ちながら、良くしなければならないというのが私の気持ちなのです。
ところで、私の教育者としての姿勢は、自らを反省しながら、正しい精神態度を思う事ができる道場生に育てることが出来るようにという事です。光り輝く、新しい時代に突入するようにしなければならないという気持ちを、教育者として思わずにはいられないのです。教育者としては、自分自身はじめを正しくすることにより、過程が正しくなるようにするのであり、終着点が正しくなるという思いになるのです。そうでなければ、極真空手で教育するという激務に対して、耐えることが出来ないという事になりかねないのです。どれほど、強く雄々しくなければならないのでしょうか。最後の激戦地で勝つまでは、強く雄々しくなければならないという事です。そのような事を考えながら、今日も身もだえしなければならない事を感じるのです。私自身、教育者として、徹底徹尾一貫とした信念を持ち、どのような社会であっても突破していく事ができるようでなければならないという事です。今でも、正しい教育に直行できるという信念に燃えて日々を過ごしたいという事です。
とにかく、指導者も道場生も、歩調を合わせて、同じ呼吸と同じ脈拍の鼓動の音を聞きながら、一線に向かってかけていく事ができるように、純粋でありたいと思うのです。今日も決意表明のような表現になってしまいました。