2016年10月23日(八段語録2939)
勝利の道(23)
成田空港近くの東横インビジネスホテルに一泊、朝日が昇って、広島に出発しようとしているのです。不思議に、十八歳の時の事が思い浮かぶのです。急にですから不思議です。
その当時、福島県の郡山駅近くをうろうろしていました。近くの銭湯に入浴して、汗を流し、何かに夢中になっていました。その時は、何も秀でる内容は、持っていませんでした。その時期は、高校を出てから半年が過ぎていました。一人で世間を眺めると、そんなに楽に生きる事などできないという事の痛感です。就職する人、大学に進学する人、様々ですが、それでも自分の立場を確立するように見えたものです。私の場合は、立場は、社会の列外という事でしょう。どの社会にも属さずに、流浪の行脚を重ねていたのです。何でもこれから成し遂げることが出来るように希望を持っていた時期でした。目標は、理想の自分という事でしょう。ダビデのような雄々しい勇気を持つ気持ちでしょうか。内容もないくせに、希望だけは胸に秘めていたという事でした。
さて、成田空港第三ターミナルからスプリングエアラインに乗って、広島空港着八時四十分到着です。そこからタイムズレンタカーでトヨタの車、アクアを一日五千円でレンタルして、広島の安佐南区スポーツセンターを目指したのです。プリウスの弟分のアクアは、乗り込む時に頭が天井に当たります。身を屈めながら、乗り込むのですが、運転席が狭くて窮屈なのです。座席を限界まで後ろに下げて、運転スペースを確保したのです。それにしても狭いのでした。今乗っているプリウスは広々しているので、比較するまでもなく、余裕を感じてしまいました。
広島の宮城師範の大会は、正午から始まりました。宮城県本部を切り開き、本日は、広島県本部に肩入れをしているのです。今回も大会に五十人の道場生が参加していました。型の試合、組手の試合と休むことなく続けて、四時半には終了です。小学生、中学生、高校生、そして一般の道場生と、成長した姿が焼きつきました。手塚グループの副会長として、会長に任されて、大会の運営を指導したという事です。会長の身代わりをするような将兵ではないのですが、勇猛な勇士という事で、大会の時間、指導をさせて頂きました。自称、会長の右腕として覚醒していますから、内容が無い分、強く雄々しくあれと自分を鼓舞するだけでした。まだまだゴリアテの前にひ弱なダビデという事でしょう。何も持たないボロボロの十代の時よりも少しましになっただけです。今でも教養も文化も伝統も十分に備えていないという事だけが、指導して感じてしまいます。ただ持っているものと言えば、拳一つというところでしょうか。
それでも、これから極真を発展させようとする心は誰よりも熱いという事です。もう退職して第二の人生を歩んでいる友達よりは、青春の輝きを今でも忘れないというところでしょう。宮城師範も能力を全開にして、闘っています。私も、この道を歩んでいる運命に決着をつける時であろうと思うのです。まだまだ心は十代のようで、自由の天地を見つめ、このグループが最大の蘇生を果たすようにという願いの日々で闘っているのです。もう歳ですから、行くべき道だけが私の道であり、この使命だけが、私の使命という信念をもって取り組もうとするのです。まだまだ人生捨てたものではないという覚悟で歩もうとするのです。
宮城師範の大会も大勝利で終わる事ができました。