2016年10月21日(八段語録2937)
勝利の道(21)
息子が、接骨院での修行を、三年半続けてきていました。11月は、フル修行から、午前中だけ接骨院で修行します。しかしながら、七年は修練を積み重ねて、午後からは、極真会館宮城県本部での指導を、強化するようにしたのです。息子を含めて、指導者が、持っている教室を増やしていくという、戦略なのです。道場の基盤を強化・確立するには、そろそろ準備していかなければならない時期に来ているという事です。道場として本格的な組織を形成する、開拓時代にするという事になります。私も、その為に、この身体に鞭打って、限界を克服するのです。さらに、自身を投入することも、当然な事ながら、スタッフ一人一人の能力を引き出すのです。全ての人の知恵を、投入していかなければならないという事です。
私が描いている極真の理想は、はっきりして、構築していたいたはずです。今まで、荒野をさまよっていたようにおもうです。それでも、もうすでに覚悟を決めていかなければならない時期、に来ているという事です。
さて、大いなる理想を抱いて、出発した宮城県本部です。その理想を、必ず見て死すべきであると思うのです。それほどまで、抱いた理想を求めた内容を、実現しなければという気持ちが強いという事です。必ず理想を実現してから、人として逝くべき責任が、あるという事を痛感するのです。年齢が高くなればなる程、強く意識するようなものです。今は確かに、少数の群れであっても、大いなる理想は、縮小はないのです。大いなる理想の価値を、身代わりしようとするならば、苦労の道をいとわないようにすべきでます。鍛練と試練の過程は当然、苦労に出くわすことなのです。そのように思う時に、誰も、振り落とされることが無いようにという、意識は強いのです。何故ならば、正当に歩んでいく事ができるようにすることが、私が願う事なのです。指導者同士の批判合戦は必要ないのです。
そのような意味でも、押忍の精神です。中心者に対してもこの精神の強化が必要です。
また、指導者同士も、お互い尊重して押忍の精神を抱いて欲しいという事です。私の心が焦燥しなければならないのは、指導者同士が尊敬の気持ちを失うという事です。批判合戦に明け暮れたならば、運勢も失ってしまいます。指導者同士、一つの理想に向かって忙しく走って、自ら覚悟して、行きに、行くべき姿であることを悟るべきです。明日の遠い道に向かって前進しなければならないということです。自分の指導している事は、自分の責任は当然です。そして、お互い信頼して、愛情の開拓者として、手探りで尊敬の念を、抱く責任があるという事も、自覚すべきなのです。当然、指導者は喜びと栄光と歓喜だけが、待っているばかりではないのです。ひたすら隣人を思いやる心を、開拓するという闘いと、悲嘆の曲折と、未開地が、展開しているという事を自覚すべきであるのです。その事は、強く自覚していかなければならないのです。極真の修行の道とは、そのような事が、絶えず降りかかってくるのです。そのような人間関係に、耐えていくべき自分が、誇る事ができる立場になるようにするのです。そうでなければ、極真の道を克服することが出来ず、明日の勝利を誓う事にはならないのです。
もちろん、すぐに修行を完成せよという事ではないのです。このような環境を消化することが出来ないとしても、これから近づく試練を越え、心を大きくすべきなのです。指導者として道場における愛情をもって、対応できる指導者に育つことが出来るようにと願うばかりなのです。