2016年10月20日(八段語録2936)
勝利の道(20)
指導者研修会を定例通り行って、教育の強化を図ったのです。今回は阿部先生が中心に立っていました。それは、菅野師範の信頼を勝ち取っているという事です。本人にとっても名誉な事です。阿部先生は、極真会館宮城県本部の、基本的礼節の姿勢を強調していました。指導者がどのような発言をするという事は、重要なポイントになります。選手としても、指導者としても阿部先生は充実しているようです。そして、菅野師範の願いを中心にしっかり指導者研修会を治めたのでした。そのような人材が、多く成長しなければ、これからの道場の発展はないという事です。そんなレベルを道場生に、焼き付けてくれた指導をしていたのです。
さて、数多くの試練を乗り越えて、今まで宮城県本部を運営してきたのです。この怒涛とあらゆる暴風雨のような内容を押し分けてきたものです。この道場生一人一人を守る事ができたという事は幸せに感じるのです。どのような試練も、止まない事はないという事です。
必ず幸福の港が私達を待っているという事を知るのものです。その結果、歓喜と喜びの日を迎える途上に、どうして波風が立たない訳がないのです。また試練がどうしてないといえるのでしょうか。そのような状況でも目的と目標を忘れないように歩み続けてきたのです。
また、今回の指導者研修でも、この道場の方向を透視する立場に立って、菅野師範の影響のもと、大ナタを振るっているという事です。真っ暗な暗闇の中に処しているとしても、理想と希望に向かうその心だけは忘れないようにしたいものです。選手が大会で敗れて、方向を見失ったとしても、礼節を守り、しっかりとした精神的な方向性を備えていく事ができるようにという願うのです。このような方向を備えなくては、残る事ができず、困難な苦海のような状況に落ち込むことになるのです。指導者が多くの道場生を指導すると同時に、自らの精神的修行も強化しなければならないという事です。その事を忘れたとしたら、決して、この道を渡っていく事ができないという事をはっきり自覚していく事ができるようにという事です。二回目になる阿部先生の指導者研修会も、それなりに評価されるものでした。しいて、欲を言うならば、どのような状況に道場が置かれようとも、指導者として、引っ張っていくという指導力を、更に磨いて欲しいという事です。
ところで、私自身の極真会館宮城県本部に対する姿勢は、眠る時も、休む時も、自分自身を忘れて過ごしたのです。絶えず、心の方向性を極真に一致させるように、自らを収拾し、一本道を歩むように、しっかりとした信念でした。会長と一致しして、共に行動して、その結果を見ることが出来るようにと動くのみなのです。流れゆく歳月と共に、私が間違ったとしたら、その流れを反省し、阻止して、極真の正しい流れに連結していく事ができるようにという事です。いつも指導者として立つという事は、反省の試行錯誤をし続けなければならないという事でしょう。新たな歴史を創建するには、そのような重大な役割があるという事を自覚すべきなのです。今となっては、この極真の為に生まれ、ただ使命の為に闘い、この使命の為に死ぬことが出来る勇兵になる事ができるようにという事です。
指導者研修会は、回を重ねるごとに、極真の神髄に至るようにということです。できるだけ万難を排して指導員は出席して、より多くの指導力を身に着けて頂けるようにと願うばかりです。そんな気持ちを表現できるのも、しっかり極真に繋がっているからという事です。