2016年10月18日(八段語録2934)
勝利の道(18)
気持ちを強く持って、新鮮な一日を迎えるためには、はっきりとした目的意識をもって前進する事でしょう。そのような気持ちを、心に抱きながら、人生という困難極まりない歩みを、明るく前進という事です。
さて、今日を生きる私の願いが何であるかを自覚しようとするのです。理想とする、自分の願いと一致するように心がけるという気持ちは大切な事です。そして、一日が終わる時には、その願いと現実の結果を以って反省しながら、終えるようにしたいものです。その為にも責任を持った一日を送るという事です。そのような事を自覚し、悟るようになったのも最近の話なのです。それだけに、日々のブログは、一生懸命に生きているという証かもしれません。
それにしても、ここに六十数年の年月を越えてきた幼い自分が存在しているのです。生きて時代を過ぎてきたという事は、あらゆる経験という、事情に通じてきたという事です。その事だけでも、心中に何かを訴えてきたという事でしょう。目的意識と対峙するときに、中途半端にしか全うすることが出来ず、悔しく口惜しい事実もあります。そしてあらゆることに付き合って、年齢という年輪を刻んできたのでした。
それにしても、恵まれてこの世に誕生したのですから、私に対して、世の中の願いという事もあるのでしょう。理由は、まだ生かされているという事なのです。
そのような意味では、世の中から私自身に、あらゆる能力と生命の力を、ほとばしるように教育を受けてきたのも事実なのです。この時代に生まれていなかったならば、高度な教育を受けることは不可能であったという事です。教育を受けて過ごして、困難を踏み越えてきたのでした。
そして、社会をより素晴らしくするために、全ての混乱した環境を収拾するという事も、何かしら願われるのです。生きている者として、自分の能力に合わせて、責任を果たすという事が必要になってくるのです。そのような事を考えると、今こそ極真の道を歩むという目的意識に、徹底徹尾に徹していかなければならないという事なのです。日々の習慣性と怠惰な気持ちが、この目的を塞ぐ時には、その習慣性と怠惰な気持ちを取り除かなければならないのです。もちろん、極真の道を歩むという目的意識を邪魔する環境があるとするならば、除去していかなければならないという事です。
そのような意味では、このような決意に徹している、自分自身でなければならないという事を痛感するのです。多くの選択肢があった人生ですが、極真という道をチョイスしたのです。実に今の状況からして天命であるといえるようになっているのです。この道を歩んだ事ゆえに、大きな恵沢があったことは間違いないと思っているのです。格別な生き方であると自負もするのです。
ゆえに、目的意識を持つという事は、天からの使命と命令であるという自覚に特化させようとするのです。そのような意味でも、私自身の心と体を、極真と共に在って、最前線として駆け抜けていく事にしたいという事です。そのような意識を今日は持つのです。その為のブログの更新なのかもしれません。
ボンヤリとした一日なのですが、何か緊張感を自分で生み出そうとするのです。
暖かな一日なのですが、流されることがないように、新規の前線に立ち続けるのです。
最前線は、刺激を与えてくれます。これからの構想を育みながら、最良の良き日を過ごしたいという事です。