2016年10月13日(八段語録2929)
勝利の道(13)

 気持ちと意識は、最前線の一兵卒の、突進する勇士を想定しています。目標は、社会に排出する、優秀な人材を育てるという事です。その実社会は、罪悪の波が逆巻くのです。ニュースを眺めても、良い事ではなく事故や事件がほとんどです。塗炭の苦しみの中に常に背中合わせという事です。確かに極真会館宮城県本部という立場は確立しています。しかし、いつ不条理な世間に巻き込まれるかもしれません。長い歳月の間苦労してきましたが、一人の道場生も悪の道に走っていかないようにという事です。そのような事になれば、存在意義を失うのです。そのような高貴な理想を抱いている、この道場の理念を支えてくれるスタッフ・指導員が、頑張ってくれていることに感謝するのです。今でも、大いなる理想の、道場出発の動機からすれば、面目を立てているとは言い難いのです。その理想に近づくことが出来ず、日々紋々としているのです。幼く、足らない事は承知でありますが、罪人の汚名を着せられない道場生を、育てるために身を清めながらの今日でもあります。
 さて、人生という苦海は避けることが出来ないという事です。それでも、そこから解放するには、どのような心構えで生きなければならないかという事を必死に考えるのです。何故ならば、栄光の極真会館宮銀県本部を、確立するという強い意志を、抱いての出発であったからなのです。開拓の極真でありましたが、先知先輩達をして、先に汗と涙の道を歩んできたという事を何度も聞かされました。開拓に出て、勝利した先輩は基盤を作りましたが、倒れてしまった人達もたくさんいたのです。そのような意味では、極真会館宮城県本部は、行くべき道を決定するのです。その行くべき方向を指示して、達成する道を歩みたいという事です。ただがむしゃらに歩んだとしても、仙台に極真を広めることは難しかったのです。
 それでも、コツコツと、日々を過ごしてきました。結果的に不忠で不備な自分を責めるのです。この極真の道が、青少年には必要であるとの確信は今でも変わりません。必要性を感じても、現実に開拓に喘いでいることが多かったのです。今でもその延長であることは間違いないのです。基盤が少しぐらいできたからと言って、それが道場創設時の、動機から比べるならば、途上であることに間違いないのです。願わくは、いまだ燃える心で、最初、心に定めた決意を維持したいのです。そして理想を望み、望みを信じて闘っていきたいという事です。私自身、絶望のどん底で喘ぐ時も、極真という心の支えは、何度私を救い上げたかという事です。ただ思い煩うという事ではなく、日々稽古という実践訓練が、修行のように思えたものでした。どん底からでも抜け出すためにも、日々の稽古は必要でした。また誰よりも、その中に、私自身が存在していたという事です。今を越えて行く為には、ただ極真の稽古をするだけという気持ちにもなります。
 今も不完全な、自らを嘆き、不完全な自分を恥じて、不完全な自らを打ちながら、今日も、明日も、その理想に向かっていくしかないという思いだけはあるのです。修行は厳しいもので、喜んで頑張っていたかと思うと、敷居が高くてうろうろする日々もあったのです。それでもどのような曲折も越えてこうとするわけです。ねばり強く闘って、極真の有段者であるという志操を喪失しないようにという気持ちなのです。これからも行くべき道は、峠もあるでしょう。砂利道もあるでしょう。それでも、全ての事に意を介さず、今日も明日も、闘いの一路を、開拓して、わが心に責任を感じて、突進するのみという事です。