2016年10月12日(八段語録2928)
勝利の道(12)
ネット環境が整って、世界との連結が即座に繋がるようになってきています。こんな時代になるとは、夢にも思わなかったのです。ネット社会のお陰で、極真の理想を、全世界に投げ込むことが出来るという事です。もちろん、空手道に関心がなければ、開くことがないページかも知れません。それでも、関心のある人が、極真手塚グループが、何を考えて日々の稽古をしているかという事は、一目瞭然という事です。そして、日々の状況をアップしていますから、どのように変化しているかという事も、視聴者は、うかがい知ることが出来るという事です。リアルタイムで、この道場の様子も、語り手の私から、推察することもできるというものです。
私の場合、最高のネット環境、そして最新のコンピュータを駆使して、できる限り伝えたいという気持ちが強いのです。もう指導者になって、すぐに始めたのは、道場の様子の発信という事でした。ブログ数もかなりの回数を数えるようになっているのです。そして、道場に関しても、芽を出して成長してきて、良き結実を結ぶ姿が現れているように思っているのです。極真空手の修行が、「どのようなものなのか」という事が分かるのです。実に、極真空手の歴史は、実に短いのです。それでも、この時代にしっかり対応して、道場生一人一人の生活と、生涯に影響を与えているという事も事実なのです。そのようにこの時代に、根付いている極真空手という事を、誇りに思うのは、私ばかりではないという事です。
さて、この道場では、時間管理の心得、生活的な心得、生涯的な心得、そして時代の心得を学ぶ事ができるという事です。自分のライフスタイルを、しっかり確立することが、出来るというものです。このような心得を学べる道場を、数ある道場の中でも、私達が提唱している内容という事です。それ故に、道場生としての門を通過しなければならず、私達が行く道に従って、狭い門から入るという事です。稽古はきついので、誰も好んでという事ではないのです。しかし、その結果の果実の収穫は多いのです。当然、選手として大会に出場すると、生死の峠のような境地に立ちます。そこにおいて、闘って勝利して、勝者の恩恵を受けるという事もできるのです。苦しい稽古は実を結ぶようにするためであり、あらゆる困難な道を越えていく事ができる、修練をするという事です。
ところで、人生を過ごすという事は、あらゆる状況に出くわすという事です。そこで、引っ掛からないにする倫理・道徳を全て稽古で学ぶという事です。結論的に鋭く言うならば、善なる実を結べない木は、全て切り捨てる作業を稽古でするという事です。良き実を刈り入れるための苦闘を、日々稽古でするという意識は必要です。農作業のように思えば、分かりやすいのです。雑草を刈り取って、土を耕し、畝を立て、肥料を入れて、種を蒔くのです。
そして、成長させる過程を取るのです。この作業をするために、道場は存在しているのであり、目的でもあるのです。そして、指導者が闘ってきた内容を、伝授するという事です。
その目的、その内容に徹して、道場の運営をしているのです。そうすることによって、人生を掴むことが、出来るというものです。
今日も新鮮に、指導をするのです。一人一人が葛藤して稽古をしているのは、百も承知です。その環境を守り、多くの道場生を育てるという、聖域は必要なのです。この道場を守り、発展させるという事に、今日も務めるのです。