2016年10月8日(八段語録2925)
勝利の道(9)
寝起きを良くして、気持ちを引き締めて、取りかかろうとして、外出すると、雨が降っているのです。とりあえず、トレーニングを済ませて、師範室で何かを模索していました。
そんな時、事務局長から東口教室に新規来場者が来るという報告を受けて、すぐさま直行しました。来場者は、幼稚園の年長という事で、このクラスの雰囲気に合致していました。今日も、少ないスタッフと指導員でフル活動になってしまっています。事務局長は、その後、四か所もある教室を精力的に巡回して、役割を果たしていました。一人で、百の事をこなして、克服し、いでたつ勇士になっています。宮城県本部の目標ははっきりしているのです。
数的基盤を確立すると同時に、質的なレベルを上げていくという事です。本気で道場生を素晴らしい人材に育成するのです。それには、本気で指導者が成長しなければならないという事です。また、社会に役立つ人材を育成しようと思えば、指導者が実際に社会に役立っていかなければならないという事です。それを心得て日々の道場運営に費やしているのです。
それがゆえに、指導者は日々成長している実態でなければならず、それを実際に道場で体現していかなければならないという事です。スタッフ・指導者こそ厳しいのです。
さて、指導者が自己の成長と社会貢献に枯渇しているようでは、反省すべきです。枯渇状態をいち早く、指導者は脱却するのです。成長の枯渇を被っている課題、社会貢献の枯渇の課題をしっかり見つめ直すのです。全て理想的な面で窮地に陥っている課題を克服するようにすべきなのです。そうしなければ、指導者の一日の生活すら保護することが出来ないという事になります。幼い自身である事は重々承知すべきです。天地と人の道に、離反する事のないような姿勢と、理念を抱いて生活することが出来るようにと努力せざるを得ないという事です。
私自身、ブログでかっこよい事だけを表現している訳ではないのです。日々努力の姿を公表しながら、この胸を抱いて、反省すべきことを、失敗した事、全てに対して自問自答するのです。それが指導者としての基本的姿勢であるという事です。
ところで、今は、極真に入門した時の創始者は、もうすでにこの世にはいないのです。その創始者が、私を引き受けてくれることも無ければ、捕まえてくれることも無いという事です。あの世との関係ですから、知らないと言われればそれでおしまいという事にもなります。
この世に、もう創始者はいませんので、私の指導者もなく、師もいないという事になります。私と共にいませんので、全ては、自分で解決しなければならないという事になります。私が困難にぶるかるとき、どうしようもない苦労が待ち受けているという事になります。そんな時、創始者の前には、面目ないことだらけという事です。若かりし日は、「行け」と言われる道に従って辿ってきましたが、今はそういう訳にはいかないという事です。もうすでに、怖がって手前で退く者にはなれないのです。たとえ体が引き裂かれ、心もずたずたに引き裂かれる痛みが迫ったとしても、この道を行かざるを得ないという事です。卑怯な真似は出来ませんから、どの道すべての事を克服していかなければならないという事になるのです。少ないスタッフと指導員者でありますが、後戻りするほど、時間が残っていないという事です。
そのような意味でも、いでたつ勇士となって、あらゆることを克服することが出来るようにと願うばかりの日でした。