2016年10月7日(八段語録2924)
勝利の道(8)

 提言として、選手会を指導者育成会に特化したいという気持ちがあります。理由は、社会に対して、優秀な人材を輩出し、極真会館宮城県本部の後輩の手本となって欲しいという事です。つまりエリート教育に特化していくという事です。極真空手を通じて、本当の自由な人としての確立を願うという事です。後輩に自由を与え、自己の束縛から解放を与え、組織の調和と結束に役立つ人材という事です。培っていくべき内容をこの指導者育成会を通じて磨くという事です。もちろん、優勝するだけの実力は必要です。それでも大会に出場して優勝する事だけを願うだけではないのです。そのレベルの一定の基準を備えてからも、高い指導レベルの人格を育成していくという事です。
 今問題になるのは、精神的自由な人格、自分を解放できる人格、そして組織の調和と結束、そこからの発展を願う人格、そのような空手道なのです。生命力と愛情の力と、理想を抱く力が漲った人格を磨く、指導者育成会という形成していきたいという事です。選手会が第一段階であるとするならば、次にステップアップする時期に来ているという事です。年齢的にも成長していかなければ、道場生の更なる成長の道がないという事になります。そうすることによって、人生の苦痛と悲しみと悔しさを全て、極真という道で踏み越えることが出来るという御旗を立てるのです。一つの精神レベルが道場生の心に立っていく事ができるように、今までの全てを投入するという事です。
 さて、そのような高い精神レベルが、自由さを感じることができるのです。そのレベルを全体に波及することが出来るのです。そして、後輩の道場生に対しても、生命までも躍動させ、動き出させるという事です。この指導者育成会を通じて指導理念を、知ることが出来るようにという配慮なのです。というのも、世の中を眺めた時に、精神的には分裂を助長しているのです。また我慢して、調和の形態を備えているよう見えます。しかし物質の豊かさが失われると崩壊に動くことを余りにも目にします。さらに、精神的に見るならば、精神の窮乏を避け、生命の窮乏を避け、愛情の窮乏を避けようとするだけなのです。そうなると生きていく事自体、人の心と心は、物質的な枯渇だけではなく、精神的な枯渇と精神的な凋落を受るのです。これを解決する能力を養わなければならないという事になります。
 ところで、このような精神的な枯渇状態と凋落を回避すべきです。その為に、満たしてやることが出来る、精神的炎と生命そして愛情の力を漲らせていくという修練は必要なのです。そして、それが爆発するところに指導者育成会はするのです。道場生が、得ることが出来る、生命力、自由、解放、調和の気持ちを形成していくという訓練ができるのが指導者育成会でなければならないという事なのです。そのような姿勢を踏まえて、大会に臨み、将来は精神を爆発さるのです。それは生命力、そして極真の理念をベースとした愛情を中心とした道場生に育てなければならないというのが私の願いという事です。指導者育成会に願う理想を高らかに掲げながら、指導者としての気品を備えていく事ができるようにという思いなのです。
 内容はまだまだ不十分ですが、今まで教育してきた道場生が、自信をもって、社会と道場に貢献できる道を開拓することが出来るようにという気持ちです。課題は多くあります。もちろん、満足すべきこともあります。それを承知で提言してるという事です。