2016年10月5日(八段語録2922)
勝利の道(6)
選手会についての提言です。あくまでも選手会は、教育の流れの一環としての、位置と立場なのです。大会に参加して入賞するのも、不変な志操を守る、この道場の「精兵になれ」という事です。その事を意識して、大会には参加するようにという事です。本部、事務局を通さずに、大会の申し込みをするという事は、この道場に在籍しているという事にはならないのです。宮城県本部の総司令官は、菅野師範なのです。私はというならば、あくまでも会長を支える副会長という事です。その事を意識する選手会になるべきです。菅野師範は二十年に渡り、変わることなく、休むことなく、闘いを進めてきたのです。個人としても税理士としての資格を取得して、社会に貢献していのです。それは、手本であり、選手会が行くべき道という事です。菅野師範は、極真という道を究め、自らの使命を悟ったのです。戦い抜いた結果、国家資格を取得して、世間に対して貢献しているのです。それだけに、極真会館宮城県本部の総司令官なのです。今、菅野師範は、道場に対しても、世間に対しても、体面を保っているのです。もちろん、道場生の見本という事です。
さて、選手会のメンバーが、大会という闘いの過程だけに、とどまっているようでは、失格です。いずれは去っていく道場生にしかならないのです。宮城県本部の選手会は、菅野師範が勝利した道を行くことを望むのです。かなものになってはならないように悟って欲しいのです。宮城県本部の闘いを身代わりとして、闘いに勝利することのできる精兵として、現れるべき選手会であるべきなのです。個人が優勝しただけの精兵となってはいけないのです。道場の高い理想と不変な愛情と不変な道場に対しる志操を守る選手会の一員として努力してほしいという事です。
ところで、私が宮城県本部を設立して、創造できた宝というのは、菅野師範を中心として優秀な弟子達なのです。このような弟子たちは、私が願って命令を下すときに、私の気持ちを汲んで動いてくれる価値ある人格を備えるようになっているのです。そのような事ゆえに、この道場は発展してきているのです。師範としての資質は、真正で公平で義理堅く、法度にたがうことなのです。私の身代わりをすることが出来る不変の姿を整えた、栄光ある資格者という事です。それ故に、親しく話せば、全てを理解して行動してくれるのです。
今の道場の願いが何であるかを悟り、人知れず責任を負うという姿勢なのです。それだけに、私の二十年に渡る極真会館宮城県本部での勝利の証という事にも成るのです。
結局のところ、選手会に望むことは、未来の極真会館宮城県本部の指導者なのです。そして、選手会には、その手本となる菅野師範が総司令官となっているという事を自覚すべきという事です。それは、これから入門してくる道場生を喜ばせてあげることが出来、正しく武道教育をする力を蓄積していく指導者を目指すという事です。そのような使命感に酔う一日でした。それだけに、選手会は、このような道場の法度を知り、二十年間闘いの法度を知って、菅野師範を中心として闘えというのです。理想の実体を師範という中心に据えている理由は、そこに理想と栄光が表れているという事です。当然、道場の指導者は素晴らしいのです。それでもモデルを菅野師範に置いている理由は目指すべき目標という事です。