2016年10月4日(八段語録2921)
勝利の道(5)

 ノーベル医学・生理学賞を、大隅教授が受賞するというニュースが駆け巡っています。これで、二十四名の日本人のノーベル賞受賞者が、誕生したという事です。アジアにおいては、主に、日本人だけが、受賞の栄誉に輝いているのです。三年連続で受賞しているのですから、素晴らしい事です。あらゆる分野の研究が熟して、果樹園で果物が収穫しているようにも思えるのです。アジアでは断トツの受賞者数を誇っているのです。まさに、天と地が祝福しているようです。そのような意味では、私達自身、日本人として生まれた事に、誇りを持ちたいと思うのです。日本人の勤勉さが、このような成果を上げているという事です。それだけに、世界に貢献している日本人であるという事です。今後も、ノーベル賞に繋がる多くの研究者も多くいるはずです。そして、日本国民一人一人が、ノーベル賞を受けた人達の、枝葉であると考えただけでも、勇気をもらう事ができるのです。可能性として、誰もが、あるひと日、ある瞬間に、ノーベル賞クラスの出来事を、引き起こす国民であるのです。恵まれた日本民族の一員として、生命の躍動を受けていると感じるのは、私ばかりではないという事です。
 さて、私自身何の変哲もない、一枝と一葉の如くにしか、生きていないと思う日々です。しかし、滲み出るような日本人の天性に、何かしら、力を受けてしまうのです。今の日本人は、どのような分野であろうとも、活躍しているのです。そのような事を考えると、ノーベル賞の受賞者に、接ぎ木されて誇りにも思ってしまいます。何か私達も人生において、後世の残せることが、出来る事があると、確信に満ちた気持ちにもなります。恩恵をいっぱい受けたように、思ってしまうのも無理なからぬことです。そんな気持ちで、日々の人生を刈り取りたい気持ちになります。もちろん、自分を振り返るならば、あまりにもノーベル賞には及ばないのです。実に、不完全で未熟で、そのような、大それたことなど、できないと思うようになるのです。まして、そんなノーベル賞の道さえも、私が塞いでしまうのではないかと、考えてしまうのです。
 ところで、結果的にノーベル賞を頂く人が、最近多いのです。そのような現象を見るにつけ、日本の文明文化も、成熟育成した結実として、完結し始めているのではと思うのです。より良き、伝統に立脚している私達ですから、どんな分野でも刈り入れることが出来るように日々励んでいきたいものです。自分の人生の収穫の時期に、確かな実績を確立していきたいという事です。極真空手という事に関しては、二十一世紀に置きまして、どんな患難でも、掴んで立つという気持ちになります。待ち焦がれる何かを、掴むことが出来るようにという事です。人生において、無駄な事を排除するように努力して、いで立つことが出来るように思うばかりです。例え、落胆するしかない道だとしても、自分を信じて、歩み続ける信念を、この道場で育てていく事ができるようにと願うばかりです。
例え、私自身、収穫のひと日を待ち焦がれながら、途中で倒れるかもしれないという事でも、勇気と、努力の足跡だけでも、残したいと願うばかりです。できるだけ、頑張って勝利の盾となる事ができるようにと、願うばかりです。誰もが、充実した人生を生きるために、ノーベル賞の受賞は、良き刺激になりました。日本人としての誇りを胸に、より一層自分の究めている道を、推し進めていきたいという気持ちになります。