2016年10月1日(八段語録2918)
勝利の道(2)
真っ青な空での、雲一つない農作業日になりました。長雨のお陰で、肥料と水分をしっかり取って、白菜と大根・カブがしっかり根付いています。今日は草を刈って、土を耕運機で耕して、タマネギの畝を作っていました。風もなく、雲一つない青空で、健康的な汗をかくという事です。土を耕して、少し休憩して、遠くを眺めるという事を繰り返すのです。青空に、そびえるように、山々がすっきり見えるのです。生命体としての漲った、エネルギーが、全身に宿るようです。この年になると、自然と触れ合うのが楽しくなります。畑のある泉ヶ岳の麓の根白石は、都会のギスギスした雰囲気に比べて、人間らしさを感じるところです。
週末は、いつも農作業をしたいという欲求に駆られるのです。それも今の時期が、とても心地がいいのです。青春時代とは、比較にならない、心の豊かさを持てるのです。七転び八起で、しがみついて、この道を歩み続けてきました。それが、こうして成熟した人生として、完結できるように導かれているのです。不思議なものです。そのように私の人生は、初めから、仕組まれているようにも思ってしまいます。
さて、がむしゃらに日々を突っ走って来ました。闘牛のようでした。取り組むことに対して、勝つことを願ったのです。一つに、始者がそうであったからという理由でした。一つの事を成していくのに、誰にも理解されない寂しい事が多くあったのです。武道に取り組んで、現役で稽古をし続けたのが、柔道を含めて二十年を超えたのでした。創始者を手本として、武道の道を歩んだのですから、友人からは、まだそんなことやっているのかと同情されたものです。それだけに、やめる訳にもいかないわけです。また自分の人生が空手ゆえに、保護されてきたという実感もするのです。そのような道だけに、多くの誘惑は待ち構えていたのです。歓楽街にものめり込むことも無く、日々の稽古に邁進する事ができたのです。創始者を手本としたからという事になります。手本の創始者が存在していたがゆえに、鉄石のように変わる事の無い、中心軸が縦に伸びて、保護してくれたという事です。
ところで、極真空手道の経験でよかったと思う事は、一生懸命、全てを傾けて、日々切磋琢磨する心を抱き、肉体の限界まで挑戦できたという事です。とりもなおさず、力いっぱい走りぬくことが出来たという事です。指導者になってからも、その気持ちは、変わることないのです。若い魂を維持したままで、今も歩めているという事です。最後の終止符を人生として、終わるまで、闘うという気持ちが強く働くのです。その姿勢が、肉体の最強を目指すことが出来なくなって現役を引退したとすると、もう次の世界を求めるのです。それが、学問へのあくなき挑戦という事で、研究の門を開いたのでした。それが、限界に感じると、師範の道を切り開くという具合なのです。生き様は、力を、能力を、そして、あらゆる勝利の道を、模索する姿勢に変わっていくのです。
そのような理由から、この肉体をベースに頭脳を経由したのです。そして心の端まで梯子をかけて、人生の上り下りしながら、勝利を眺めようとする私が存在しているのです。私が最後まで人生を全うするとする意欲が満ちているのも、このような 忍耐の気持ちを育ててくれたのです。極真の道に感謝するという事になるのです。とにかく、闘いの勇者として、忍耐の勇者として、最後まで闘い勝利の道を切り開きたいという気持ちが強いのです。