本部長通信161  2008年4月24日

人生転換(9)


 数年前、韓国ドラマの冬のソナタを夫婦で鑑賞していました。思い出したのが、若き日の私達でした。妻を愛した時、慕い合う愛の道を辿ってきた思い出が、走馬灯のように浮かび上がってきました。そして、私達の愛の道を通過して生まれてきたのが三人の子供達でした。愛の道とは当然私が妻を慕い、妻が私を慕う道のことで、そこでの愛の境地を通過してきたから生まれてきた子供達ということなのです。何の疑問もないことです。
 妻を思うと感動するのです。妻が慕わしく恋しくてたまらないそんな境地が毎日のように刺激してくるのです。当時は長電話するのが当たり前、一週間に何度かは手紙も書いていました。本来の愛の姿が私の若き日の愛の基準として輝いていたのです。それゆえ、冬のソナタは昔をよみがえらせてくれた格好の材料になったわけです。
 夫婦の関係まで表現してしまう師範であることは、悲しいことが嬉しいことかというのです。何故表現しようとするのかというならば、夫婦関係は生涯をかけて大事にしているからなのです。それゆえ、平気で表現してしまうのです。世の中には、やればできるものが多いのだけれども、夫婦関係は、ただやればできるというものではないのです。
 当然一人ではできない。腕力とか暴力などではできないのです。原則、鉄則の愛の道以外に通じないのです。四方八方において標準を定めながら、中心的位置を外さずにそれを保ちながらやっていくのです。これは難しいことなのです。すぐに浮気などして崩れてしまう人が多いではないですか。

師範稽古 突き40分 国見教室