2016年9月30日(八段語録2917)
勝利の道(1)

 予想通り、晴れ間が広がってきました。それでもお日様が、雲の合い間から覗かせる天気です。元気フィールドの教室も、お休みです。今日も、道場の発展の為に、最前線に出て闘わなければならないという、気持ちです。また、師範室で戦略を練って、智慧を絞るという作業をするのです。誰に役割を担ってもらうというよりは、自ら精兵となって、引っ張っていかなければならないという心構えです。
もちろん、本部スタッフ・指導員・道場生が、その立場で、真剣に取り組んでいるという事は、百も承知なのです。それでも、先頭を切るのは、「私でなければならない」という気持ちの方が、強いのです。私自身欲しているのは、能力の源泉である極真理念を、実践として表していく事なのです。ところで、仙台に帰ってきて、二十五年の歳月が過ぎました。一から十まで準備して、全部作ってきたのです。修行時代の、全てを投入たのです。
難しい環境において、私が先頭に立ち、弟子の一人一人が、立ち上がってくれたのです。
その弟子達と、試練と困難の峠を越えてきたのです。そして、今の道場で実践の闘いを通じて、日々勝負しているという事です。
 さて、師と弟子が一丸となって、力に力を加え、能力に能力を持って、築き上げてきた極真会館宮城県本部なのです。何度も試練を乗り越えて、一致団結の権能を持って、表してきたのです。さまよう、人生の中で、閉じ込められていた、気持ちを越えてきたのです。極真精神で稽古をする中で、徐々に心の解放があったのです。極真空手で、希望の炎を燃やして、日々歩むことが出来る、道場生に育ってくれたのです。塞がっていた気持ちを、生命の炎に変えることが出来たという事です。そして、いつしか、生活の原点を、極真精神に置くようになったのです。それも、生きがいのある、人生として転換しているのです。極真空手は、ただ単に、闘争心を駆り立てるのではなく、あらゆる人生の障壁に対して、切り開く力を与えてくれたのです。私自身、先輩たちが行ったのと同じ道を歩んできました。ゴルゴダの丘として、地獄谷の奥底に、倒れていった境地も通過しました。また立ち戻ろうとしても、立ち戻る事ができない道にも、迷い込んでしまったこともあります。それでも、一方的な目標を立てて、それに向かって、自主的な勇気を持って、闘ったのでした。絞り出すように、最後の情熱を、全て傾けて、どの先輩よりも、先に勝利の旗を掲げ、突っ走り、精鋭の兵隊のように歩んだのでした。それでも、まだまだ闘いは残されているのです。実りを十分に刈り入れていないのです。このまま途上で終わる訳にはいかないという気持ちは大きいのです。
私だけではなく、本部スタッフ、指導員、道場生が一丸となって、行くべき道を死守したいのです。
このような真髄の思いが、全ての道場生に、まだまだ伝わっていないという事を嘆くのです。極真会館宮城県本部の未来が、道場生一人一人の明るい未来に繋がっていくという事を悟って欲しいのです。ここで留まったり、去ったりしてはいけないのです。修行は一生なのです。勝利の御旗を立てるには、一丸となって前進しなければならないのです。喜びの勝利の白旗を、しっかり自分の心に立てるべきです。
道場生が育める自信と誇りは、この極真から芽生えるはずです。
 そのような事を、描きながら、九月を締め括るのです。
道場生の誰もが、後悔しない生き方の指針となるように、私達は、頑張るのです。未来の幸あれ。