2016年9月28日(八段語録2915)
愛情(28)

 原町ゴルフ同好会、地区の有力者が参加するコンペに同席しました。普段会議の集会でしか会う事の出来ない、地域の人との交流です。有意義な一日となりました。極真会館宮城県本部が、この原町に本部を設置して、もう二年の歳月が過ぎました。今までは、青葉区の中江という地域でした。地元の中心に看板を掲げましたので、より親密になっているのです。私が、極真の選手であったという事も、知って下さっているのです。また地域の為にあらゆる役員をしながら、極真空手を広めていることも承知しているのです。そして、この地域に根を下ろしているのです。多くの人の御世話役をさせて頂いていますので、知らない人は少ないのです。
故郷に帰って、全国を二十数年修行してきたことを、この地域に全て、投入してきているのです。もちろん、極真空手の普及に全力で対応したのでした。この地域で学ぶ事も十分ありました。振り返ると、全国を行脚して、修行してきた全ての内容が、個々で、花開いているという実感をするのです。修行時代と、この地域に根を下ろして、活動してきた全てが、過ぎてみると全ての事が、愛であった思うのでした。この不肖な私が、極真という道を知る事ができ、修行の日々を過ごしてきたのです。極真空手という道を知ってから、私の身体から汗が、止まる事のない日々が続きました。そのようになった事に感謝しながら、走って来たのです。もう六十三歳の初老のである事に、気づいたのです。若き日は、決起旺盛な青春時代を過ごして、全ての情熱を燃やし尽くしたのです。道場に熱心に通い、強くなる事のみを志して、栄光の時を見つめながら、日々過ごしたものでした。その修行の日々は言葉はいらなかったのでした。ただただ汗を流すことに、力を込めたのです。そして、耐えて鍛えての、連続でした。このように鍛錬をすることで、誰にも負けない男性として、極真空手を武具にして、心強く日々を過ごした事が、今さらのように感じてしまいます。過去を再び回想してみるまでもなく、武道人生そのものを、歩み続けたという事なのです。
 だからと言って、才能があったかというならば、後輩に追い抜かれてしまう事も、しばしばあたのです。悔しさも、無念さも、心に秘めながら、耐えてきたという事なのです。よくも平凡な私が、極真の指導者をしていると思ってしまいます。継続が力であるという事を、肌身で感じてきたのです。かくして、この年齢まで来ることが出来たのです。このように継続を、旨として歩むならば、私の経験から、誰でも修行する事ができる道であるという、確信も湧いてくるのです。胸が詰まり、気が伏せてしまう事も、どれ程多かったかという事は、一度、極真の稽古をするならばわかるという事です。難しい峠を越えて、今があるという事です。
 このように、修行を重ねたことが、今の立場を守ってくれるようになり、地域の人達とも和合する事ができました。最終的に、歓喜に満ちた環境にまで、至ったという事です。
今思えば、過ぎてみればすべては愛であるという事です。広い大地に、確かな足跡を残したという気持ちになります。原町ゴルフ同好会のメンバーは、私を極真の指導者として認めてくれているのです。そして、地域に貢献していることを、高く評価しているのです。このような恵まれた故郷を、心に抱いているという事に、愛を感じるのは、当然のことかもしれません。