2016年9月25日(八段語録2912)
愛情(25)

 私の武道歴を振り返ると、中学から柔道を三年間、高校でも柔道を続けて三年間、講道館で二年間、継続しましたので、柔道で合計八年です。それから、極真会館で、空手道の修行をしたのです。極真会館に入門したのですが、続かない中途半端な期間が、池袋で四年も続きました。この時に全国を隈なく徘徊したのです。心を入れ替えて、札幌で本格的に稽古が、二十四歳からでした。それでも本格的に稽古を始めて、八年の歳月で黒帯を取得したのです。
それから、有段者としての選手生活を、七年継続したのです。全日本への出場でした。結局、実際に肉体を酷使して、武道の現役を、二十二年、費やしたのです。それから、指導員として、東京と関西で六年。仙台に帰ってきて、創始者が亡くなっったのです。路頭に迷う期間も含めて、八年の間指導員、師範代として、教育に携わったのです。更に、本格的に師範として、宮城県本部を立ち上げたのです。既に十六年の歳月が、流れてしまったのです。突き詰めれば、武士道が、人生の原点になったという事です。今後、この姿勢は継続中です。この武道人生で培った事は、肉体を鍛えるという、二十二年に及ぶ時期、それから、鍛えた武道を、指導するという時期、更に、組織を作って、極真会館宮城県本部を運営する期間。三段階に分けられます。少なからず、武道精神で人生を切り開いてきたという事なのです。
 結果的に、このような人生を歩むことになったのですが、あらゆる悪意に、翻弄された人生でもありました。それでも、裏社会に誘惑されることも無く、武士道という崇高なまでに、善の世界を追求したことになります。そして、色々な感情を、許しと寛容が本質的に表現できるようにという、気持ちが強かったのです。それは、武士道という本体が、無限な愛と寛容の所産であると悟ったからでした。道場生同士のいざこざ、先輩からの試練、涙の苦難が続いた時もあったのです。その時は孤独にさいなまされ、やめたくなる時期もあったわけです。また疲れたのでした。この環境が良くないという事で、逃避するように、北海道に渡ったという経験もしたのです。やはり、良き師に出会わなければ、生かされない自分という事も知りました。
 ところで、色々な感情が込み上げてきた修行時代でした。武士道は善であったという事です。自らの、美しい本性を引っ張り出してくれたのです。その本性に乗っかって、栄光の道を目指すという事を、意識したのでした。NHKの大河ドラマ、真田丸という戦略と策略を使う生き様ではないのです。善だけが反映され、それを持って和合できるようということです。真実な姿として現すことが出来る、心身に至ろうとしたのです。そのような姿勢を整えて、全ての人を信じて、指導者に立ったのです。今も、一切の策略は使わないのです。
ただ善だけを追求する指導者の実体として、汚れの無い、生き様だけを目指そうとしている訳です。またそのように道場生を、指導しているのです。
 このような気持ちで、道場を運営しているのですから、道場生からの、信頼を受けなければ、発展する事ができないという事です。支えてくれる能力ある、スタッフからの力がなければ、前に進まないのです。日曜日でしたが、師範室で様々な事を整理して、道場生の成長、名簿を眺めながら願うばかりでした。もちろん、私を越えていく事ができる人材の出現を願うばかりなのです。