2016年9月23日(八段語録2910)
愛情(23)

 十数年前から極真会館宮城県本部の歴史の記録を紐解くと、様々な人間模様が描かれました。極真会館宮城県本部を指導して、嘆くようなことが様々ありました。それでも、この上なく、しっかりした人材に恵まれ、充実した愛情組織を、形成するようになったのです。
手塚グループの副会長としての立場ですから、輝かしい栄光に溢れるように思われがちです。しかしながら、実際は、様々な事に心を配るのです。どちらかというならば、心が傷つくことも多かったのです。どれほどの憤りが押し寄せてきたか、分からない程の立場に立ったものでした。副会長の私は二十数年の指導歴です。
しかし、手塚会長は四十年以上にわたって、道場を運営しているのです。その間、世界チャンピオンが、会長を乗り越えて見下すような立場に結果的に立たされてしまいました。有能である弟子が、帰属意識を持たず、礼節もわきまえずに、離れていくという事に直面したのです。どれ程悔しい立場に会長が立たれたかという事を、私は恐れ多くも考えることが出来ないのです。それでも、私の経験から、裏切られるという事がどんなに悲惨であるかという事も、経験してきたのです。会長は私心がないのです。夢と理想を心の中に描き、望みのひと日を過ごすという気持ちなのです。会長との会話は、「面白くない」「楽しくない」という気持ちになった時には、全てを投げだしたいと話します。それでも、夢を捨てないのです。
まして、副会長としての私を保護したい心が大きいといつも感じてしまうのです。
 さて、 私の立場は、会長の保護と愛情の懐に抱かれている事を実感するのです。
利害打算では、決して接することがないのです。会長に対して、裏切りや背を向けるという事は、決してないであろうと、確信までできるのです。もし、そんなことをしたならば、罰が当たってしまうとまで、思ってしまいます。背徳の絆から抜け出せなくなったらおしまいです。それはもうすでに、死亡の波に押し流され、すっかり死亡のどん底で破壊されしまいます。会長の私を心配なさる心が大きいだけに、不足な私の足跡を眺めてくれます。もう二十数年、心を砕いてくださっているのです。だからと言って、一日として、会長の気持ちを慰労できているかというならば、まだまだ足らないということです。
 ところで、今日は新田の元気フィールドで三浦先生を中心に稽古をしているクラスの指導に行きました。極真の精神を通じて指導し、その実態を稽古で現していました。もし、極真の精神で、教室を消化できなければ、極真の理念と実態が審判してしまうのです。それ故、指導は恐ろしく大切なのです。道場生が集まって、極真の精神で高められれば、弱々しい道場生にはならないのです。まして、更なる高見を展望し、希望の歩みをするというものです。
当然、指導者は、先頭に立って、極真の道を究めていく事が大切です。それは、道場の誰からも評価される歩みを積み重ねていくという事です。そして、悪魔の放つ罠にはまらないという事です。今日精一杯、極真という切り口で、地に足をつけて切り開き、充実した日を送ってもらいたいと心から願うのでした。
 しっかり稽古をして、自分の理想へ邁進して欲しいものです。
最後は、指導者は道場生の心をつまり、愚痴やマイナス的思考を受け止めて、極真精神でもって諭すような心を抱いてくべきです。それを、帰属意識を持って、道場の発展の為の礎の気持ちになれば、心地よいのです。