2016年9月22日(八段語録2909)
愛情(22)

 暑さ寒さも彼岸までという事です。雨模様で寒いくらいです。いまでも、日々の生活の中心が極真精神という、特異な生き方をしています。武家社会でもないのに、武士道を追求しているのです。その精神に徹して、喜怒哀楽を求めていこうとするのです。最近の社会情勢からすれば、時代錯誤ということかもしれません。それでも、心の置き場所を武士道に置くと、心身ともに締まるのです。この精神で貫く事に決めたのですから、今さら方向転換とはいかないのです。自分を磨くという事が、輝かしい、喜びの人生をもたらすと思うのです。
そのような気持ちで、偏屈までも貫き通したのです。そのような生き方をすれば、栄耀栄華を自由に全うし、日々喜びと目的達成に向かうのではないかという信念でした。
 しかし、人生というものは、どのような精神の鎧の武具を身に着けても、紆余曲折の多い事を体験するのです。乗り越えて行かなければならない人生であると実感もするのです。このように行動して、推し進めれば必ず達成できるという意識で対応するのです。それでも、出来ない人間の愚かさを身に染みるのでした。今までの修行の道は、苦痛の障壁が立ち憚っていたのです。特に全日本のトーナメントに出場するのですから、その為の準備は半端なものではないかったのです。汗と涙がほとばしる決戦の途上の準備を必要としたのです。青春のエネルギーは、全日本で、闘う事に注がれました。本当に自分中心の稽古を徹底したのです。誰のいう事も聞くこともせず、黙々と稽古に励んできたのです。池袋の総本部の地下のサンドバックを何時間も塩を舐め舐め取り組んでいたのです。
 そんな選手生活を七年も続けていたのです。有段者になって七年ですから、現役時代は、白帯の時代から計算すると十五年にも及んだのです。極真に徹して、個人としての事を重視して歩んでみると、武士道の本質に出会うようになったという事です。私の場合、創始者から直接言葉を受ける本部に在籍した為に、人々の気持ちに接するという心が芽生えたのです。後ろを振り返ると、この極真に挫折する人、日々喘ぐことになる人、様々です。そのような後輩に接するようになると、後輩を抱くという気持ちになったものです。願われる選手となるというよりは、後輩の相談相手になっている自分を発見したのです。そうなると、自分の歩みを理念化して、どのように立て直して極真の道を継続するように指導したのです。
少なからず、建設的意見の範疇に至ったのです。現役を終えると三十四歳で家庭を持つようになり、道場と家庭に対する理念的世界を追求し始めたという事です。そして、それが確立するようになると、いよいよ建設という事に至ったのです。
 四十歳に近づくと、両親から家長としての役割をするようにと、実家に引き戻されたのです。仙台をベースにして、今まで培ってきた理念の建設に至ったという事です。すでに来仙して、二十五年の歳月が流れたのです。建設は悔しい道でも、憤懣やるかたない道でもあったのです。苦しい道でしたが、自分が選んで道ですから挑戦の連続です。この道を喜びとして、感謝の道に仕立て上げたという事です。そして、栄光の道に変えるべく、必死な人生行路を進んできたという事です。生命が尽きるまで、全てのものを消耗させることを誇りとして歩んで今があるという事です。