2016年9月18日(八段語録2905)
愛情(18)

 八十八歳の誕生日を迎えた母です。中秋の名月過ぎた頃でしたが、月も出ず雨模様の天候です。母が、私を大学病院で出産した時の話を良くします。台風が直撃で、病院の電灯も切れて、凄まじい嵐の中、朝四時二十分に生まれた事を話です。そのような天候で、生まれたものですから、波乱万丈の人生を、過ごすであろうという事を、何かにつけ母は話すのです。
その予言が的中するかのように、十六歳で家出をして、高校卒業するかしないかという時に、人生の修行に出発したのです。文字通り波乱万丈を、生き抜いてきたという実感があるのです。そのような人生でも、いつか出会うであろう妻としか、愛情を交わさないという事、決して人に暴力を振るわない事、これが修行僧のように私の戒めでした。それは、両親の姿を見ての信念であり、今でも貫いている姿勢という事です。この二つの戒めが今の自分を、生かしているという気持ちになります。その母が地上に生まれたのが18日という事です。
 それで、極真会館手塚グループの副会長として、二十数年の間、会長を支える立場に立ったのです。多くの道場生を、指導させていただいているのですから、母に感謝という事です。
日本中と世界を股にかけて、修行の人生を過ごしてきました。この極真という人生の切り口が、自分にとって、あらゆる課題を解決する帰結点になりました。もちろん、偏っているとか様々言われますが、私にとっては、極真という最大のパワーを得たのです。何もない私が、修行の成果として、副会長としての立場を得たのです。この立場で、多くの人に責任を持つことが出来ました。
もちろん、自分に対しても無責任ではいられなかったのです。生きていて、副会長として責任を持つべき立場で、愛情を道場生に向けることが出来ました。直接命令する事も出来ました。それは生活を通じて、全部、自己管理をするという事が原点になったのです。このような立場は、乱れないように精神生活を正すとともに、多くの事情を正しく判断するという結果にもなったのです。私の身に、良き実りが結実するように自覚を促してきたという事です。
もちろん、責任を持って歩むという事は、自分自身だけではなく、対象が個人から世界という軸が立つわけです。けっして軽はずみな事は、出来ないのです。必然的に、酒を飲まないという事に至ったのです。決して悪ふざけをして、迷惑をかけないという前提になったのです。立場上、困難にぶち当たるという事もある訳です。しっかり、内容の足らなさを自覚したのです。肉体を世俗的方向に向かないように努力し、私の欲望が悪に染まらないように修行を続けたという事です。このような内面の要素を抱くことが出来たのも、極真八段であり、副会長であるという意識からという事は言うまでもないのです。波乱万丈ではありますが、人生の主人公に成れたのは、極真との出会いであると言っても過言ではないのです。
 それだけに、波乱万丈であっても、哀れな個人、家庭、そして極真を作らないという信念に及んだのです。
母の誕生日に感じることは、両親の姿が私の手本となったという事です。波乱万丈の人生でした。心を閉じて、裏社会に首を突っ込むことなく、極力世俗的な主義主張に陥ることなく、極真の道を歩んでいることに感謝という事です。そのような意味では、本質的感性を磨くことが出来た、極真の出会いであったという事です。そして、母の誕生日を祝うのでした。