2016年9月16日(八段語録2903)
愛情(16)

 極真空手は、青春時代を犯罪に至らないように、正しく導いてくれました。精神と肉体の健全な形成に、稽古は、必要な手段であったのです。日々の稽古への熱中は、忘れようとしても忘れることが出来ない、思い出なのです。そして、稽古は、世界の多くの道場生と絆を結ぶ事ができました。それが、今では、考えららない情報社会の発達で、いったん因縁を結んだ道場生と、日々交流を続けることが出来るのです。私が使用しているは主にフェイスブックなのですが、多くの道場生と共有しているという気持ちになるのです。仙台の道場生はもちろんの事、日本中、世界という舞台でも、手塚グループ副会長として、顕現する事ができるという事です。有難い事に、八段の段位を頂き、極真空手道を通じて、人生の極意を体験する事ができました。もちろん、レベルを高く設定するのですから、日々反省になるのです。道を究めようとするわけですから、感じまいとしても感じざるを得ないのです。それが刺激になるのです。
 確かに道場に通うという事は、人と人が集まるところですから、互いにぶつかる事もあるのです。解こうとしても、かえってもつれることもあります。それでも、稽古を通じて、心に、しこりになったことが、互いに、溶けるという事実も知るようになるのです。私とて、この年齢になったとしても、今でも稽古は必要なのです。そして、様々な心の、しこりを解くことに余念がないのです。日々を反省する事によって、新鮮な感動が生まれることもあります。過去を整理して、新しい明日を憧憬する事ができる、徹底した心を呼び起こすようにしているのです。今日もそのような心を抱くことが出来るという事で、再び自分を奮い起こして、人格のレベルを上げようとするのです。そのような生き方ができるのも極真のお陰なのです。
極真空手は実に不思議なのです。肉体の苦行の修練を重ねるのですが、体が締まってきて、それに引きずられるように、心が、幸福感に酔いしれるという経験を何度もするのです。心身ともに、健康な刺激を受けるという事実は、確かに苦行の中にあるのですが、心が極真に置いているからなのです。そして、極真に座標軸を置く限り、心の中から、魂が暴発して、気持ちの奥深に、結ばれていくようになっているのです。今日も充実した日を過ごさせていただきました。もちろん、道場で稽古をするのですが、その反復練習を隠れて、自宅でするのです。それがまた、相乗効果をもたらして、あらゆる恩恵を受けるのです。それが受験の為とか、資格が取得できるまでとかというのではなく、生涯自分に問いかけるのです。これが何とも言えない極真の極意なのです。
 もちろん、今日も、極真の道の心を抱き、あえいでいるのです。その苦闘が、自分自身にとって、良い結果として、現れるようにと願うのです。私を取り囲み、離されないように、極真の心の基準を保ちながら、生活に生かすという、行動に出るのです。そうする事によって、充足された気持ちになれるし、喜ぶことが出来る人生に至るというものです。確かに色々なしがらみがあります。それでも、極真を歩んでいるという自信から、柔和謙遜な気持ちにもなれるのです。武士道はこよなく、憐れみと慈悲の気持ちを引き寄せてくれます。そして、その気持ちで、会長と共に歩むという、恵まれた立場を生かしていきたいという事です。