2016年9月10日(八段語録2897)
愛情(11)

 今日は、目が回る忙しさでした。朝八時半から正午まで、防災訓練を原町小学校で行われたのです。そこでの役割は、交通指導という事で、小学校に来られる、避難訓練の来場者の、安全を守る事でした。それから、二時には、新規の道場生に対しての説明の為に、錦が丘の教室、幸町の教室を回って、既に五時を回っていました。五時からは、仙台ニュースカイ・マンションの理事会、六時からは、初めてでしたが、懇親会をして、二次会を、知り合いの小田さんの店で、親睦を兼ねて、カラオケを歌ってきました。最後は、半年前に管理人になった日隈夫人を、青葉区の堤町まで送っていきました。帰宅したのが、もう午前一時を越えていました。どんなに忙しくても、謙遜な姿で、多くの人に接するという事を、心がけるという、意識を持った次第でした。多くの人と接する中で、良い処もあれば、傷心する事も駄々あるのです。そのこと自体、自分の人格を磨く上で、大切であると思うようにしているのです。極真空手は、山籠もりをして行う修行ではなく、多くの人と切磋琢磨しながら、磨いていくというのが、原則ですので、世俗の中でも、輝く人柄を、身に着けていきたいという、気持ちになりました。
 さて、どの集まりでも、自分の主張を広げていく事を、念頭に置いています。今まで、千辺万篇して、忘却の彼方の隅に置き去りにした事を、再び蘇られて、原点回帰という事をするのです。集会で、心から湧き出るように話すこともあります。動機は、みんなが喜ぶことが出来るようにという、配慮という事を、重視しているのです。どのような集会でも、心が一つになると、その一瞬に、何か新しい事が、起こるように思うのです。また、それなりの望みが、成就するように思えるのです。人の心の基が、気持ちが一つになる事によって、落胆しないのです。どちらかと言えば、希望が広がるのです。もちろん、どの集会でも、良い方向に、動くという事ではないのです。とても、いたたまらない集会もあります。それでも、私は逃げようとはしないのです。忍耐が一番であると思っているのです。最後は、残った者が、勝つという信念に基づいているのです。とにかく人として、背反する人を捕まえて、何度も主張したこともあるのです。理にかなってなければ、改めて貰ったのです。
 ところで、どのような時でも、威信と対面と権限を、立てようとする自分を発見します。決して退かないのです。何故ならば、個人ではなく、望みを託された、公人としての気持ちが強いという事です。決して気持ちを分かって欲しいとは思わないのです。また、今の事情を理解してくれとも思わないのです。叫び、訴えたいことは、どの集会の時もあります。しかし、立場を確立していないと、何も面目ないという事も自覚してしまうのです。気持ちを暴露するように、ありのまま表現しているのです。それでも、嫌な事は嫌という徹底した姿勢は取るのです。自分の姿を振り返っても、不忠な者として扱われることもあります。しかし、悪行に対して、付き合おうとはしないのです。
 大切に、受け入れてくれる集会では、心が和みます。そして、積極的にこの集会の為に、頑張ろうとする意識が、強くなるのです。目が回る一日でしたが、自分の主張が通る良い集会ばかりでした。疲れも吹き飛んで、どのようにすべきかという事だけが、課題になったという事です。有難い一日でした。