2016年9月8日(八段語録2895)
愛情(9)

 7月10日午後3時
 本人は、かなりの年齢になっても、体操する事、歩くことを、しっかりするのです。保護観察期間を贖罪の時として、受け止めています。もちろん、本人の悲しみは一生消えないでしょう。この期間、悔い改めの気持ちで、涙を流しているようです。それ以上に、もし、自分がそのように、していなかったならば、一緒に暮らしていた息子が、そうする事に、なったという気持ちが、強いようです。その為に、未来ある息子の為に、自分は身代わりという気持ちもあるのです。高齢者の犯罪は、本当に同情もします。しかし、罪は罪ですので、私の態度は、贖罪を促すという事になるのです。それでも、本人がそうしなければならなかった、という気持ちだけでも汲んであげるのが、保護司としての役割であると思うのです。もう年齢も高いし、これ以上の罪を犯すとは、考えられないのです。それでも、人としての道を、本人が見出すように話を聞くという事になるのです。一緒に連れ添った人だけに、後悔の念に駆られていることは、私にも伝わってきます。一人で、手を合わせて済まないという気持ちが大きいのだと思うのです。そのような意味でも、面接で話を聞くのが役割であると心得るのです。町内会長、民生員、ボランティアの数々をしてきた人だけに、人格者です。そして、そのような立場に、立ってしまったという事に対しても心砕いて歩んで、嫌われていることが分かっても、息子の為に、できることをしていきたいという気持ちのようでした。
9月8日 午前十時
 しっかりした足取りで、迎えてくれます。いつも行くと、本を読んでいるか、テレビのニュースを見ていることが多いのです。できれば、我が家で暮らしたいと話します。その話に匹敵するだけの、自己管理能力です。それでも、息子は、この老人ホームに入れた言います。何ら施設と、変わらないとも話します。そのような事ですから、息子と口喧嘩をしたり、たまには暴力を振るわれると話してくれます。何のことも無ければ、そのまま余生を過ごせたという事でしょう。確かに今は償いの道、十字架の道という事のように感じています。時には自分自身を、忘れてしまいたいようにも、見えます。 犯罪も、悲しみも、苦痛も忘れてしまいたいというのが本音という事です。私が面接すのは、もう説教をするとかという事ではなく、気持ちを吐露するのを、受け止めるという事だけで、良いと考えています。頼りにする息子とは喧嘩をするし、親戚に犯罪の内容は知れ渡っているので、誰も相手にしてくれないと思い込んでいます。そのような意味では、今の環境の中で、気持ちを持ち直して、尊厳性のある、生活をしていく事で、精一杯という事です。私も対象者と比較するならば、対象者の子供のようなものですから、人生を重ねてきた人に対して、理解を超える内容があります。それでも、役割ですから、聞くことに徹するのです。本当に立場上でも、温かく迎えてくれます。そのような人との繋がりを持って、自分自身の心を正すという気持ちになるのでした。