2016年9月6日(八段語録2892)
愛情(7)

 八段の段位を頂いて、七年目に突入しました。何が出来て、何が出来ていないかという事を、反省しなければならないのです。この年齢でも、まだまだ成長半ばであるという事です。極真の魂の全てを継承しているかというならば、不足が多いようです。地域でも、極真の素晴らしさを理解してもらうには、満身の力を注いて努力してまいりました。何度も言うようですが、極真という武道精神を持って、多くの人の為に、役立っているかというならば、修行の道が厳しくて、挫折する多くの青年がいるという事も事実です。それでも、全てを救済しなければならないのですが、難しいのです。一人一人を、平等に育てるという事よりも、中心メンバーを、しっかり立てるという方針に、転換しているのです。
それだけに、自分との葛藤は大きいのです。まだ行く道が分からず、その何かを探しながらでも、悟れないまま、彷徨し、あえぎつつ六十三歳まで来てしまったという事です。長い歳月を経てきたという事実は消せないのです。もう少し、才能があるならばという、気持ちにもなりますが、それだけ健康で、今まで過ごさせていただいて、時間をかけて対応するようにという、願いなのかもしれないと思っているのです。
 さて、張り裂けるような、修行の日々を送ってきたのも、昨日のようです。大声を張り上げてしまいたくなる時が、何度もありました。そして、できれば、嬉し涙を流したいという気持ちですが、まだ闘いは続くのです。よく瞑想を繰り返すと、行くところが何処にあるか見出すことができ、極真に所属していることが、どんなに素晴らしいかという事も感じるのです。それでも闘い続くのです。そして、極真を究めて、八段というくらいの価値も、少しではありますが、知るようになっているのです。今、極真会館の道を、会長と共に稜線に向かって走っている私ですが、時には傷ついた足を引きずって、理想を目指している訳ですから、その頂点に向かっていく、以外にないと思っているのです。その為に、最後の力を加えて、この線を越えることが出来るように、日々の生活で衝撃を、自分自身の心と体に表現する事ができるようにと思うのです。
 ところで、私達のグループの会長は、弟子達に裏切られ続けた聖人なのです。決して恨むことも無く、夢を追い求めて今に至っているのです。会長が、話したいことが在るとするならば、嬉しい事ばかりではなく、限りない悲痛な裏切りの、歴史の悲しいでき事ではないかと思うです。会長が限りなく困難であったという事実、会長が限りなく苦しかったという事実、この事を心で悟り、体得して、会長の身代わりになるというのが、八段の段位の使命であり、副会長としての役割であると思っているのです。これからも、会長を支えて、八段としての役割を果たす覚悟をするのです。そんな決意の一日になったのです。私は良き師と出会えたことに感謝するのです。そして、日々理想と夢を追い求める生き方を、会長と共に共有する事ができることに幸せを感じるのです。
 一日を振り返って、チラシ配布があり、新しい道場生に対して対応することがあり、道場生に送るためのメッセージを書くことが在りと、様々ですが、まだまだ一日に敗北しているように思っています。気を引き締めて取り組もうとさらに決意という事です。