2016年9月5日(八段語録2891)
愛情(6)

 大根の種蒔きの時期に入りました。気温30度を超える残暑ですが、農作物に時期がありますから、都合で、日時を変えることもできず、強行突破になりました。麦茶をボトル四本準備して、五時間の予定で始めました。草が生い茂ってしまっていましたので、草刈機で根こそぎ刈り取り、更に耕運機で耕し、畝を立てるという作業が、四時間に及びました。それから、肥料を入れて、種を蒔くという作業に一時間、いつの間にか、太陽が西に沈みかけようとしていました。結果、計画通りの作業ができました。七本の畝の中に、しっかり大根の種を蒔いて、育つのを待つだけという事です。大地は正直です。人間が自然に調和しなければならないようになっているのです。
ところで、人は、自然に反逆していることが多いようです。人間どうし殺し合ったり、いがみ合ったり、本然ではない行為が多いのです。結果、人が成長して、実るという事が少ないようです。人としての役割を果たすことが出来ず、亡くなっていく人が、いかに多いでしょうか。そのような意味で、自然は、種を蒔けば収穫できるという事を教えてくれます。「そのように生きるのだ」というメッセージのような気がします。
 さて、今日は、大根の種を蒔いているのですが、二か月も過ぎると、ちゃんと大根になってくれるのです。それで、考えてしまうのですが、私という存在は、ちゃんと私自身になる事ができるかという事なのです。要するに、大根の種のように、農作物として、多くの人の食卓に貢献するという、役割を全うする事ができるかという事です。まだまだ、使命半ばという事です。その為に、どのようにすべきかという事を、今なお模索しているというのが現状です。そのような意味では、心と体で、納得するような人生の歩みをしていきたいという事です。両親の願いもそうですが、先祖の願いから始まって、自分自身が、納得するような歩みをしていきたいという事なのです。現状では、修行が足らなく、人に迷惑をかけることが多いようです。どちらかと言えば、単純な心と体としてのみ、機能しているようです。まだまだ奥深く、物事に関して、思慮深くなっていないというのが現状なのです。
 そのような意味では、私の心と体が、多くの人の為になる事ができるようにという気持ちです。まだまだ身代わりにはなれないようです。反省する事が多い日々なのです。反省して成長する事ができるように、模索しているのですが、まじめなだけで、どうする事も出来ない自分に嘆いてしまいます。とりあえず、自分が立たされている立場で、何ができるかという事を、思慮深く考えていきたいと思います。極真にどのような伝統をたてて、多くの人の救済に至るかという事に対して、真剣に考えていきたいのです。立場を誇示して、多くの人に恩恵を、与えることもできない人物にはならないようにという思いになります。ボランティア活動していると、馬鹿な人を目にします。確かに立場があれば、それに越したことはないのですが、上位の立場にゴマをすり、下位の立場を仕切るというような事を平気でするのです。私が言いたいのは、「まず自分自身を仕切れ」という事です。自己管理なくして、組織も役割もあったものではないと思うのです。人に対して、道であり、生命であり、真理であり、愛である人格を作っていくという事が先決であると思うのでした。