2016年9月2日(八段語録2889)
愛情(4)

 道場生を育てるという事は、多くの意味を持っているのです、最も大きな意味としての柱は、武士道の極真の全てを、継承する事ができる、主人公を育てることなのです。開拓者として、一代では終わらせたくないのです。多くの団体は、次の世代に継承する事に失敗しているのです。どんなに規模が、大きな組織になったとしても、親子の確執、兄弟同士の不和、様々生じてくるのです。今年に入って、岩手と新潟の、他団体の師範たちが他界していきました。年齢からするならば、私よりも若い師範達です。私が心配するのは、創設者の意図を汲んで、次の世代に継承する事ができるかという事です。相続する、主人公がいなければならないという事です。そこまで、弟子達を育ててこそ、創設者の役割は終了すると思うのです。他の道場を見て、道場を取り巻く環境が、どのようになっているのかという事です。もし、これらの道場が継承する事ができず、一代で終わってしまったならば、開拓だけで終了する事になり、とても惜しい気がするのです。私が、もし、次の世代に継承する事ができなかったならば、失敗した師範となるのです。そのように考えると、恨みの積もった気持ちになる思うのです。そのような意味では、次の世代の主人公を作っていくという事は、とてつもない使命であると思っているのです。
 このような使命に、次の世代の主人公を育てるという事を背負った私ですから、全ての道場生を抱くのです。それはまさしく、天と地を抱くことのようであり、本気で、次の極真を担う人材を、育てるという気持ちになるのです。この事ばかりは、強制する事は出来ないのです。私が仙台を開拓しようとしたときは、誰も振り向いてくれませんでした。それでも、地道に歩み続けたのです。最初に道場を訪ねてきた人たちは、自分が望む以上の姿であるように思ったのでしょう。しかし私自身、結構泥臭く道場運営をしていたのです。マスコミ・映画・雑誌のような英雄的な姿として、登場はしなかったのです。それでも、地道に稽古をし続けていくうちに、本物の道場生が、私の後を追ってくれました。今思えば、有難い事です。そして、華々しいアニメの世界ではなく、私が見せた、泥臭い稽古が、道場生を育てたという事です。そして、その稽古を、後継者として、弟子達が継承しているのです。実にありがたい事です。 
 仙台で立ち上げて、色々な感情を味わいました。その真っただ中において、展開しては収拾するという、繰り返しであったという事です。相当な人数の道場生が押し寄せてきたのも事実です。しかし、本当の極真に触れたのは、一握りの人材でした。しかし、その弟子達が、今の道場の指導者になっているのです。現実に道場の理念の建設が始まって、これから大きく成長しようとしているのです。私自身に、この四半世紀に及ぶ闘いは、大地に染み通った内容になっているのです。その内容を継承する、次の世代が育っているという事が、私の誇りでもあるのです。武道精神である極真は、世の中の乱れているものを整理して、日本人が持っている本来の姿を現すと思っているのです。このような気持ちで、一日過ごしてみました。大学病院で血液検査、チラシの配布、袋原内科の薬局で薬を取得して、道場に着いたのが、夕方の五時を回っていました。忙しい時間を過ごした事になります。