2016年9月1日(八段語録2888)
愛情(3)

 道場に在籍していることに、こうべを下げる、気持を持って欲しいという事です。在籍していることが、当たり前という事になれば、謙遜に稽古は出来ないのです。そして、その姿勢では、極真空手の真髄に、到達する事ができないのです。また、指導者と、深い絆を結ぶ事は出来ないのです。間違いなく、道場を大切にする人は、あらゆる恩恵を受けるのです。それをしっかり理解して欲しいのです。道場生が心の門を開き、極真の道を探し求めるようになると、心の中心に、節度を持った愛情を感じてくるのです。極真という空手道は、「私」の心の主体的な命令に、「私」の体が従う事ができる能力を培うのです。その事を自己管理というのです。この能力は、日常生活だけでは、身につかないのです。あくまでも修練を通じて、養うのです。その日を慕わしく探し出すという、姿勢が必要になってくるのです。そのようになると、自分自身の心から沸き上がる、天の声を聞き、失った本来の自分の体を、見出すことができ、自由に成長する事ができるのです。
 謙虚になって、修練を積み重ねるという事の理由は、極真の伝統を背負ってきた先輩、先生、師範に困難と苦労の過程を経て来れたという事を感じるべきです。自らこうべを垂れることのできる、道場生にならなければならないという、意識を持つという事です。指導者に対して、また恐れ多い心を、自ら心と体で、感じることが出来るようにしなければならないという事です。指導者は確かに素晴らしいのです。しかし、その背後には、どれだけの修行を積んできたのかという事を、はかり知るべきです。このように指導者の苦労を見つめることができ、困難を越えてきた、指導者である事に、敬意を払うべきです。ただ前に立っている指導者だと思ったら、大間違いです。そして、無駄な努力をしないですむように、最短距離で、この修行の道を示しているのです。それは何よりも感謝な事なのです。
 ところで、道場生に対して、今日話したいことは、謙虚になって、稽古に励んで欲しいという事です。決して、自分が優勝したから、ちょっと強くなったからと、傲慢になるべきではないのです。そして、しっかり指導者としての先輩・先生・師範に対して、敬意を払うという事を、忘れてはいけないという事です。そして、指導者の心を和らげてあげることが出来るように、一生懸命稽古をするという事です。どれだけ、指導者は、道場生の為に心を砕いているか知るべきです。ただ、単に前で指導しているという訳ではないのです。気持ちを通わせているのです。そのような事をしっかり念頭に置いて、稽古に励んでください。そうしなければ、この道の貴さを、知る事も出来ないという事です。
 今日は、とても忙しい日になりました。新規来場者が二教室に三名でした。三名とも、初めから、空手をしたいという強い願望を持って、体験しているのです。何か夏休み明けは、雰囲気がガラッと変わったというイメージでした。その忙しい時に、私が指摘した団体の指導者から、電話がありました。私に対する対応の悪さをカバーするように、色々と話をしていました。しかし、「すいません」という一言は言えないようでした。申し訳ないという気持ちを前面に出して、電話をかけてくるのではなく、一通りの事情説明でした。もう私にとって、全てを指導しましたので、後は本人の姿勢という事です。道場生に対しては、謙虚に、間違いがあれば、「すみません」と言える心を育てて欲しいと思ったのでした。