2012年3月2日(八段語録1609)

夫婦の会話


 久しぶりに、妻の千順さんと秋保温泉に出かけてきました。色々な事を話し合います。その会話が、幸せの極致なのです。あらゆる活動をしてきて、その報告も兼ねるし、あらゆる知恵を妻に話します。そして、検証してもらって、許可を得て、勇気を持って、次のステップへ行くわけなのです。その中でも、事後報告も結構多いのですが、それでも千順さんは受け止めてくれるのです。二人の信頼関係が深くなっているので、その会話の中から希望が膨らんでくるわけなのです。この希望が、あらゆることを克服する栄養素になってくるのです。
 会話内容は、どのような計画で、どのように手順を踏んで、どのように実行していくかという事まで話していきます。話した後はスッキリして脇目も振らずに取り掛かるだけなのです。不安はもう既に無くなってしまっているのです。そんな二人の重要な会話なのです。千順さんとの会話は、たいていの場合、自分でも思いがけないほどの、素晴らしい勇気を貰う事もあるのです。やはり、色々な事に取り組むときに、不安がよぎります。これで本当に良いのかと確証が欲しいものです。厳しい事に取り組むこともあるだろうし、奇想天外な事に踏み込むこともあるのです。
 何故妻との会話が多いかという事も分析する事もあるのです。そうすると、もちろん今まで支えてきてもらったという事も重要な要因ですが、それ以上に、私が臆病であるという事の方が多いような気がします。人生を切り開くうえで、果たしてという不安はつきものです。不安を抱えては何もできないのです。迷ってしまって、力尽きてしまうのです。千順さんは、神の創造した存在の中で、一番私にとって、勇気をもたらしてくれる存在なのです。
 というのは、日常生活の現実に、千順さんは、私に対してあらゆる攻撃をかけてくるのです。日常生活の中では、眠っていようと、目が覚めていようと、妻の観点からあらゆる攻撃を平気でかけてくるのです。千順さんは私に手向かう事は、赤ん坊が大人立ち向かうように思うのですが、千順さんは一向に気にしないのです。妻は、電話でも、一緒にいる時でも、私の悪感情など気にも留めないのです。普通の人間関係ならば、怒らせてしまうような事でも、遠慮もなく土足で上がってくるのです。このような関係であるからこそ、二人でじっくり話し合う時には、勇気を貰うという事になるのです。私の全てを知り尽くしているかのように、最終的にはサポートしてくれる存在になっているのです。
 このような会話があるからこそ、自分自身を信じることが出来るのだという事を確信するし、信念の中心部分に置き換えるに至るのです。自信がなければ、人生の動きが取れなくなってしまうものです。常に千順さんには感謝以外の何ものも無いのです。