2016年8月30日(八段語録2886)
愛情(1)

 極真会館手塚グループの副会長としての自覚ができるような、師範室の模様替えを整えたのでした。この配置を見て、目覚めることが多いのです。この立場は、会長と共に、日本と世界を包む立場であり、大切な位置であり、席であるという事です。そのような気持ちを、模様替えを持って、更に自覚させて頂きました。決して道を誤らない生き方で過ごしてきました。それは、日本と世界の極真会館を抱く心であり、極真をベースとして、愛情に目覚めることというとです。幸い良い両親に恵まれました。愛情を受けて育ったのです。それだけに、何かを犠牲にして、愛情で包むという事を、自然に芽生えることが出来たのです。今でも、誰かの為に、尽くすという事は自然なのです。何かご褒美をもらうために、尽くすという事ではなく、本来的に良心が育って、成長してきたので、自然にそうするのです。思えば、祖父母に限りなく愛情を注がれたことも、思い出にしっかり残っているのです。それだけに、利害関係を越えて、愛情を探し出すことが出来る、能力を備わったという事です。
 それゆえ、師範室に座って、感じることは、今、心の門を開いて、今の気持ちが何であり、愛情がどのようなものであるかという事を、自分から探し出す能力として授かったという事です。この眼が、耳が、鼻が、そして口が、全ての感性が望むことが出来る愛情をキャッチする事ができるという事です。それだけに、忍耐する事や、苦労する事を、いとわないような生き方が出来たという事です。このような感性として育ったという事は、振り返る事もなく、多くの人から、恩恵を受けるという事ができたのです。何か地位・権力・財力がというよりは、人格で勝負できるような、歩みをさせて頂いたという事です。もちろん、私の家庭に偏見の目が注がれた訳でもなく、差別を受けたわけでもないのです。平凡な中に、しっかりとした環境で、人格を育てるという事ができたという事です。
 ところで、何も分からずに、人の価値を人格以外に、置いている人たちにも、たくさん出会うのです。それでも、どんな人に対しても愛情を持って尽くすという作業をすると、誰とでも通じるのです。もちろん、そのような心構えが、天地に通じると実感する事がでたのです。もちろん、自然も味方してくれるのです。そのような価値観を持って生きる人が少ないという事に着目したのです。愛情の開拓者であるかのように、自負するのです。極真の道が、愛情の道に連結するという事は、発想すらできなかったのですが、極めると、そのような観点に立つのです。そのような意味では、天倫の真理に通じるような修行をしてきたのです。それは、天倫の人格に通じるようになったのであり、結果的に愛情で見つめるような心を育てることが出来たという事なのです。そのような心の準備ができるとは、夢にも思わなかったのですが、究めれば愛情ということになったのです。
 口で愛情というと、柔らかく聞こえるのですが、極真の修行の歩みは、厳しいものでした。その厳しさを携えて、愛情で包むという気持ちを表すのですから、地上最強の愛情に至るという事です。そんな気持ちが、師範室の中に充満し、席に輝きを増すという事なのかもしれません。自分が座る席が、頼もしく思えるような、配置になったのでした。有難い事です。