2016年8月26日(八段語録2882)
決断(26)

 師範室の模様替えをして、すっきりさせました。お金をかける訳にはいきませんから、事務所用の事務机を、リサイクルショップにて、木製の黒色机を安く購入して、備え付けました。配置も南から東、ちょうど入り口の正面です。師範として闘う準備OKという事です。過去を振り返る事、不十分さが目立ちます。それだに、模様替えに関しては、どんな困難にも立ち向かうぞという決意充満になるのです。この師範室を中心として、道場生を温かく育てる環境と、多くの道場生を育てるという、意識を高く備えるのです。そして、これからの極真の未来を拓くために、全速力で突破していくのです。
それは、師範として、この社会に順応していく人材を育てるのではなく、これから来る新たな時代の環境を、克服して残ることができ、未来の伝統を現実の事として捉えていく、人材を育てるのです。更に欲を言うならば、極真の指導者として活躍を願うのです。できるだけ、私の意志を受け継ぐことが出来る人材の育成という事です。振り返るならば、身もだえしながら、極真の道を歩み続けました。私と同じ極真の道を歩んでくれる道場生の表れるまで、耐えて苦労の道を行くという事を決意しているという事です。もちろん、今そのような人材は育っているのです。
 さて、新たに師範室を模様替えして、この師範室に恥じないように、立場ある人として活躍しようと思うのです。同じような配置であると、なかなか気持ちが一新しないものです。環境に左右される私という事でしょう。師範室の模様替えという事だけではなく、確かに、公の看板として、自分の姿を正しく、世の中に現そうとするのです。それ故に、目を上げて山を見ることができ、海を見ることができ、天地を見ることが出来るようにしたいのです。恥ずかしく、生きるという事がないようにという事です。自分の手を伸ばして、一輪の花にも、一握りの土にも、恥ずかしくないようにするのです。そのような人物を目指すという事は、肥沃な肥やしとして、多くの人を育てることが出来るように、しようとするのです。そのような人格として、伝統的な極真の道を、究めようとするのです。師範室に入る時に、聖なる気持ちになるように襟を正し、安楽な立場に立たないようにという、気持ちになります。軽挙妄動する事がないようにという意識です。
 ところで、万全な体制で臨むことは、限界があって不可能ですが、この師範室で思う事は、私を克服することであり、私が耐えなければならず、環境を乗り越える代表師範となることです。私が例え滅びるとしても、道場の発展を望めるようにと願うのです。そのように歩む師範が現れなければならないと思うのです。ここに誠意を尽くして、道場生を見守って行きたいという事です。その為に、誰よりも苦労をいとわず、誰よりも勝利するし、英雄となる道を許されるようにと願うのです。決して恥ずかしい、人生を歩もうと思わないのです。
 今日も恥ずかしくない一日になりました。どのような事でも、頑張ります。いい加減な団体からの指導は拒否です。みっともない事を指摘しましたから、それでおしまいです。後は本人がどうするかという事だけですので、私には関係ない事です。とにかくすべきことは、全てお終わりました。