2016年8月20日(八段語録2876)
決断(20)

 責任者には使命もありますが、責任もあるのです。今日も人の為に、愛情を注ぐという作業をしっかり実践し、進行させるのです。人の姿を細胞に感じて、一人一人を、極真という精神で包むのです。誰が何といっても、私は、その人が願う頂上に向かって、真剣になります。そして真実に、一歩一歩共に歩むのです。最終的には、責任を負っている、自分自身になるようにしていくのです。このような姿勢を、責任者が持たなければならないのです。しかし、ある責任者は、忘却しているのです。必ず、人が行くべき教育をしなければならない開拓の道が、必然的にある事を忘れているのです。人には、個人の峠があります。責任者として、その使命を果たさずして、重荷になるようではいけないという事です。必ず、一回の稽古で、その人にとって、プラスになり得る立場に、指導者は努力すべきです。「通いなさい。参加しなさい」という前に、先に立って、実践するために、正常な足取りを取らなければならないのです。その欠如は致命的です。
 また、かつての責任者であった指導者を、話の中で悪口として言うのはやめるべきです。それを聞く人は耐えられないのです。責任者が語るという事で、一時はその時は聞くふりするだけなのです。しかし、その人は、信頼は得られないという事を悟るべきです。教育は、投入しても投入しても報われない事が多いのです。それだけに、耐えて、最後まで投入して、成果が生まれた時には、感動が押し寄せてくるのです。指導者はわかるはずです。その人をどのように、将来近づいてくる、峠を越えさせていくようにするの方法です。決して、大会ばかりではないのです。日常生活が充実するようになれば、人は変わるのです。指導者と何度でも、互いにまみえ、お互いが喜びとなり、誇りに思うようにすべきです。
 今日表現している内容は、私が闘ってきたことであり、指導者として、引き受けついて欲しい事です。指導者として、共に歩む立場に立ったからには、人の生涯に、責任を持つという姿勢は必要になってきます。教育するという事において、一瞬たりとも疎かにしてはいけないのです。いつも新鮮な覚悟は必要です。誰もが今後、指導者に向かって、近づいていく事を知らなければならないのです。そして越えさせてあげて、自分より立派な人になるように努力させるのです。かつて、私は、創始者にそのように指導されました。そして、一瞬と連結されるような日々を、送らせて頂いたのです。指導者が成長しなければ、盤石になるように発展はしないのです。それが指導者の、必然的運命であると悟るべきです。できるだけ、感謝の心で、消化させて、課題を越えて成長させることが出来るように指導してください。今日も私としては、一瞬に全ての精力を傾けて、組織の核が構築する事が出来るように、無限に努力してきました。
 まだまだ努力不足は目立っていますが、それでも必死に頑張るのです。妻に聞けば、私がどれだけの努力をしているのか分かるはずです。何故ならば、生活を共にしているのです。その指導者は、対象者に対して、無関心なのです。どれだけ組織の為に頑張っているかという事も、眼中にないのです。そのような指導者を組織は育ててはいけないのです。教育が大切のなのです。