2016年8月19日(八段語録2875)
決断(19)

 ちょっと怒ってしまった自分に反省。生身な心なので、表現する事に、純粋になってしまいます。責任者という、批判対象者に対しても、許しの気持ちを持つようにするのです。言いたいことを書いたら、それで終了です。根に持たないのです。それだからこそ、批判は、抽象的だと言われても仕方がありません。それでも、心は刺激的で、実証的なのです。これぞ、私の欲求であり、止めることが出来ない、姿勢であるという事です。このような姿勢が保たれるのも、確かな家庭を、持っているという事かもしれません。今私が背負って行く役割は、家族を守っていくという、意識になるのです。私の家族が、私自身の生き様を見つめてくれます。また、守ってくれるのです。このように私が働くことができるのも、家族に完全に抱かれているという事です。その事実は、確信になっているのです。確かに私は、何でも主張しますから、実に恥ずかしくなる、自分を発見するわけです。確かに青春は個人の生活だけでした。人格というものを形成することなく、没落するかもしれないという、瀬戸際に立たされてきたものです。
 このような自らを打破する事が出来たのも、妻と出会ったからであり、今は個人として行くのではなく、家族の守りを土台として、開拓し、これを動機として、極真会館宮城県本部を土台として、日本と世界の極真を、発展させようとするのです。多くの優秀な道場生を育てることが出来ました。家族があるゆえに、襟を正し、姿勢を整えて、世間に恥ずかしくないようにするという事です。その為にも、家族の力は大きかったのです。私にとって、家族は、理想の実現の為の、原動力になっているのです。本当に恵まれたのです。愛する事が出来る妻がいて、子供達がいるのです。今は、嫁の茂奈もいて、孫の士紀雅もいるのです。もう家は、愛の刺激で、満杯になってしまいます。極真の使命を完遂させて、世界に連結する努力は残っているのです。その為にも、家族の力の要件を受け継ぎ、これを愛情に変えて、世界の前に行使するのに、不足ないようにしたいという事です。語って憚りなく、美しく円満な家族を、形成する事が出来ました。有難い事です。色々な事があります。それでも最低限度、家族に対しての責任だけは、果たしていきたいという事です。まだまだ家族の為にする事はたくさんありそうです。理想の価値を持って立つことが、出来るようになる為にも、家族を大切にしたいものです。
 今日も情熱を傾けることが出来る、真実な心を持つことが出来ました。極真の起点を、準備する事が出来るというものです。ここまで、表現すると何を言おうとしているのか分かってしまいます。一つしかない平和な家族を模索しながら、極真という切り口で、世界を抱くという存在になろうとするのです。今は、世界の果てまで訪ねていきたいのです。開拓者としての過程という道は、残っているのです。今年は、ヨーロッパが主体になりそうです。先月は、ヨーロッパを回っていました。十一月には、ポーランドでヨーロッパ選手権に招待されています。アメリカ・カナダに、今年はいけなかったので、福岡で行う九州大会に参加して貰います。自分の生き様に、起源を残すことができ、極真の歴史を背負いつつ、日々歩むという事です。今の発想は、世界の舞台を克服しようと身もだえしながら、妻と手を取り合って、根こそぎ世界の極真を懐に収めるのです。