2016年8月16日(八段語録2872)
決断(16)

 視野が狭いと言われようが、閉鎖的と言われようが、最終的に、極真手塚グループの道しか、選択しなかったという事です。政治に疎く、世間から離れたところで、修行してきたのです。結果的に、全く独善的、排他的な、青春時代だったのでした。だからと言って、第二の人生を選択しようとは思わないのです。ここまで歩み続けたからには、最後まで貫くという事です。そして、できれば、それなりにこのグループという作品に仕上げたいのです。私の人生は、中心軸があったのです。だからと言って、誰もが認めてくれる道でも無かったのです。同級生の友達もたくさんいました。誰もが正常な感覚ではないと断言していました。「お前ならそれなりの企業や公務員を選択したら」と良く言われたものです。誰も擁護してくれなかったのです。それ故に、個人としてどのようにするか、家庭をどうするのか、将来のビジョンはどのようにするのかと、狭いアパートの一室で一人考えたものです。結論など出るはずもなく、日々修行という事でした。
 さて、若い時に、極真会館に飛びついたのは、世間の既成概念とは、まったく違っていたからなのです。大げさに、新時代の、世界レベルの使命を、果たすという情熱を持ってしまったという事です。そして確信したのです。人に流されて、押し出されていく者にならない道であると。本気で、地上最強の男になる為の稽古を続けたのです。もちろん、理想には追いつけない、弱い自分も発見していました。そうだから、どのような姿勢になったかというならば、死なずにこの道で生き残るという意識でした。
確かに今は、生き残った存在になったのです。生き残って感じたことは、かつての、先輩不甲斐なさという事でした。大会に愛人は連れてくるし、自分の嫌いな弟子は切ってしまうし、金銭を追い求め、ネオン街を支援者のカードで勝手に使うのです。また借金は踏み倒すという様子でした。誰も見本になる人は、いなくなりました。そのような現状を見て、間違った生き方は、したくないという、心構えができたのです。自分が師範になった場合はという、前提で、物事を考えるようになりました。理想の師範像に関しては、現在の師範を反面教師にしたのです。倫理道徳に適った人としての、生き方をしようと誓ったものです。とにかく、どの師範の、後継者にもなりたいと思わなかったのです。そのような時、手塚会長に出会ったのですから、天の導きという事なのです。人格者でした。この出会いは、もう二十年前の事です。そして、運命であると確信したのでした。そして、この会長の後継者であるならば、本望であるとう結論を出したのです。
そして、今も一緒に、極真の改革に取り組んでいる訳なのです。それは、私が納得できる勝利の覇権を持ったという事でした。この二十年、様々な風霜と様々な試練と患難、あらゆる闘いが待ち受けていましたが、会長と共に滅びることは無かったのです。今は確かに、僅か一握りの群れでしかないのですが、世間が望んでいる団体であるという確信はあるのです。それでも、全国に十数カ所の本部があり、世界四十か国以上に広がってきているという事を思うと、寄せ集めの団体ではなく、少数でも心の通った団体である事に間違いないのです。このグループを育て、世間のひな型にするのも、私の役割と思っているのです。そんな決意を固めて一日を終えたのでした。