2016年8月15日(八段語録2871)
決断(15)

 終戦記念日、日本が戦争に負けてしまった日です。それでも、私がこうして、生きているのも、英霊たちのお陰という事です。だからと言って、何か変わったという事でもないのです。暑さの中のお盆です。今日は根白石の畑にやっていました。ジャガイモを掘ってから一か月も経ってしまいました。畑は草が生い茂っています。草刈機、で根こそぎ雑草を排除するところから始まりした。そして、耕運機で耕します。土が堅いので、何度も行ったり来たりするのです。次第に、土も砂のように柔らかくなりました。そして、畝を立てるのです。さらに、肥料を蒔いて、秋野菜の白菜の種を直播するのです。午後から始めて、気が付けば夕方七時を回っていました。それでも、人は暑い中での作業を苦とは思わないのです。
理由は、白菜を収穫するという希望があるからなのです。汗まみれ、泥まみれになっても、心は満たされているのです。野菜を食べる人は多いのですが、育てる人は少ないのです。私は、その少ない人に入っている農夫なのです。当たり前の話です。そして、このような農作業の在り方については、いつも妻の千順さんに叱られるのです。「ジャガイモを収穫したらすぐに、畑を耕せば、そんな苦労をしなくてもいいのでは」ということです。「そんなこと言っても、風邪で大変だったし、ヨーロッパにも出かけたし、忙しいのは良くしてたじゃない」と言い返したい心を、じっと耐えて、「そうだね」と首を縦に振るのえす。
 この暑い中、畑に出て、農作業をするのですから、実に大変です。それでも、作業に取り掛かったら、もう止まらないのです。種を蒔くという、計画をしているのですから、その工程全てを、やり遂げるという決心なのです。農作業は、苦労です。それだから、止めようとは思ってもいないのです。何故ならば、農作業は、人生の縮図のように思える訳です。人生を行くために、越えていくべき、苦労の道は、避けて通れないという事を悟る訳です。その苦労は、実に楽しいという事を、農作業は教えてくれるのです。太陽の恵みを受け、そよ風が横切って、滴り落ちる汗を拭きとってくれます。この大地の畑には、生命の一切が織り込まれているのです。もちろん、私が躍動するのです。この農作業中、自然の前に、率直に曝け出せるのです。何の装飾もいらないのです。誰が何と言おうと、私が耕しているのです。これは否定する事が、出来ない事実なのです。確かに、この暑さですから、フライパンの卵のように、焼かれている訳です。それでも、自然との絆で結ばれているという実感が湧くのです。この関係を誰も否定する事は出来ないのです。
 日没になって、最後に白菜の種を蒔いて、農作業を終了したのでした。夕食をマツコ夫人に料理して貰っていたので、有難く食してたのです。御主人は、事務処理で忙しく、一緒に夕食を食べることは出来なかったのですが、疲れ切った身体に、癒しの料理になりました。農作業をすると、節々の痛みを伴うのです。それでも大地に抱かれて、謙虚になるのです。日々の日常生活が、いくら醜く哀れでも、自然は間違いなく、抱いてくれて、優しい愛情を込めてくれるのです。か弱い、一人の老人を、憂い抱く大地は、いかに、偉大な事かとという事です。別荘を出る時は、真っ暗になっていて、月が輝いているのです。やはり自然は、私自身を取り戻す、最高の場所という事なのです。そんな気持ちで、畑を後にしたのでした。