2016年8月14日(八段語録2870)
決断(14)

 母と一緒に、母の実家の墓参りに行ってきました。最近、従之叔父さんも他界して、寂しさが募りました。今日は、昼間は日差しが強く、気温も高いという事もあって、夕方から墓参りに、出かけたのです。途中、田圃の稲は、もう実り始めている様子でした。あっという間に、泉ヶ岳のすそ野のお墓に到着です。ここは、幼少の頃私の遊び場でした。近くに、亀一お爺さんと、別荘を滝の傍に建てて、ドラム缶の五右衛門風呂に入ったのです。その頃、温泉が湧くという事を良く話してました。実際に、泉スパが出来ました。滝の中段に籠を仕掛け、ウナギを取ってました。山女魚も、釣り竿で釣り上げます。川は透明で、モリで仕留めるのです。何とも挑戦して、たまたま山女魚に、命中した時は大喜びです。そのような思い出が、走馬灯のように蘇ります。お墓は、小高い丘の中腹にあります。幼少の頃は、母に手を引っ張って貰っていましたが、お墓の道のりは、私が母の手を引っ張るのです。母に「老いては、子が母親を引っ張るようになるのだね。」と話すと、笑ってました。母ももう八十七歳なのです。母も途中実家での思い出話をします。何度も同じことを新鮮に話すのです。凄い能力だと思うのです。私は、何度も聞いているのですが、私も凄い能力を持っているみたいです。初めて聞いたように受け止めるのです。
 そんなわけで、実家での思い出は、母と同じように鮮明に思い出すのです。そして、この実家の出身であるという事に誇りを持つのです。それも、親戚であり、実家と同じ道を歩んでいるのだという気持ちにもなるのです。というのも、母の実家の従弟は、特別養護老人ホームを主体とした、社会福祉事業の理事長をしているのです。共に「為に生きる」道に居るという事で共通している訳です。実家も順風満帆という事ではなかったのです。親戚が郵便局長をしていた頃、部下の使い込みが発覚して、責任を取ったのです。そのお金を工面したのが、実家でした。亀一お爺さんが、その借金を肩代わりする為に、学校の先生から、京都の警察の巡査の職に転職したのです。それは、給料が良かったという一点でした。どん底の実家の家計を支えたのでした。
そして、従之叔父さんが、田圃を開拓、花を育て、養豚業を営み、最終的には、農協の理事になって、市会議員にまで這い上がっていったという、道のりなのです。そのすべてを見てきた私は、この実家の生き様に、感動をしているのです。苦しい時代を知っているだけに、涙を流すことなく、後世が栄える礎を作ってきたのでした。この実家の信念と決意だけは、凄まじいものがあるのです。そんな歩みの全てを知っている母と私は、お墓にお参りする気持ちも、ひとしおなのです。こうして実家を誇る事が出来るのは偶然ではなく、実家の努力を賜物であるという事を感じるのです。親戚の借金まで被って、正しい道理のまま、こうして自由に胸を張っている実家に敬服しているのです。今の盤石な基盤は、苦労の末に勝ち取った者であり、その方向が社会奉仕に向かっているという事に、血筋は争えないと思っているのです。
 墓参りの後、実家に立ち寄って、従弟夫婦の歓迎を受け、思い出話に花を咲かせ、心豊かな一時を過ごしてきました。母と彼岸にも来ようと話しながら、帰路に就いたのでした。