2016年8月10日(八段語録2866)
決断(10)

 もう極真の道は決めている道なので、この道だけを見つめていくという事です。何の取りえも無い私が、ひたすら歩んだ道は、極真の道と精神修養だけという事です。能力も実力もない一人の弱い人間として、決断してこの道を歩み続けてきました。極真の道は、人が知る事が出来ない、そして地上最強という、憧れに向かって出発したのです。それゆえに、棘の刺激が残り、傷つくつくという事も、体験してきました。しかし、これを意に介さず、歩み続けてみると、四十三年の間、徹底徹尾、の覚悟と誓いと決心を、し続けてきたという事なのです。まさに「人生これだ」という事の発見でした。もちろん、オリンピックに参加するという事でもなく、ひたすら自戒の道を、歩み続けたという事です。地位も名誉も何もないのです。当時の一緒に歩んだ道場生は、何年かすると極真を見切って、新たなる航海に出発してたのです。当然、道場とは無縁になりました。私の場合、望み、強くなる事を、待ち焦がれ願ったという事でしょう。
 その当時、どのような意識であったかというならば、七千円の月謝を払続けて、しがみついたのです。能力もあったわけでもなく、いじめらてても、嫌われても、叩かれても、無視されても、残る事を選択したのです。その当時の私の気持ちは、今になって汲み取る事が出来るのです。この道で恩恵を受けるようになったのは、二十八歳の時、有段審査に合格して、黒帯を、締めるようになってからでした。それまでは、感謝しようとしなかった、その時の生活のような気がします。有段者になって、全日本に参加するようになると、我が人生という明確な自信が沸き上がったという事でした。
 ところで、私が、四十過ぎてから、総裁が亡くなるという事になったのです。もうその時は、仙台に帰ってきて、大学で勉強していましたので、直接的には、分派分裂に加わっていなかったのです。そのような意味では、その時の不穏な動きに、巻き込まれなかったという事です。そして、二年という冷却期間を経て、選択したのは、かつての恩師である高木師範が行動する遺族派と呼ばれる、総裁の御家族に組したという事でした。それは、当然なのです。北海道で多くの指導を受けたのですから、裏切る訳にはいかないのです。その流れで、所属したのが安斎師範であり、その延長に手塚会長に出会う準備がされたという事です。ですから、決して道から外れまいとする気持ちが、私を支えていたという事です。行けという天の声ですから、武士道精神で突き進んでいったのです。そこグループの規模は小さかったのですが、理念は地球の万石を打ち抜いて、地球の裏側まで突き抜けるような、大きな理念の道でした。その道は、追い立てられたような道でしたが、感激の涙を流すことが出来るような道でした。
 そして、今、何を探すために、この手塚グループに在籍しているかというならば、見せることができるのです。それは、人格であり、家族であり、仲の良いコミュニケーションであり、豊かな自然を愛する心という事でした。確かに、大きな組織でもないので、不憫な思いをしたこともありました。組織が大きいからと言って、自由な雰囲気がなければ、私にとっては水に合わないという事になります。この年齢になって、思う事は、この道に対する志操を曲げないという事です。そして、覚悟した忠節を、天地が変わらない限り、守り続けていくという事です。