2016年8月7日(八段語録2863)
決断(7)

 聖義と茂奈の、結婚式が行われました。結婚式場で、来場して下さった方々と、共に結婚式をするという内容でした。神主も神父も牧師もいません。式場に来られた親戚、道場の指導者、友人の前に、永遠に結婚を誓うというものでした。一人の男が夫となり、一人の女が妻となる訳です。そして、聖義と茂奈との間には、目に入れても痛くない、士紀雅が誕生していて、一歳なのです。すぐさま、結婚式から、披露宴と移行しました。華やかな聖義と茂奈の姿が、三時間の間、披露宴会場を包んでいました。国際カップルだけに美男と美女という事です。二人は、会場のみんなに祝福されて、新しい人生のスタートをしたのです。華やかで、煌びやかな結婚式でした。歓喜と喜びの絵巻物です。一生に一度の、素晴らしい一時を、彼らは持ったのです。全て人達から祝福され、新しい人生なのです。これから、仕事も愛情も責任が伴うのです。どのような苦痛が訪れようとも、しっかりと乗り越え、打ち勝つようにと願うばかりです。そのような強さは、滲み出ていました。
 さて、聖義と茂奈の結婚式を、目の当たりにすると、隣に座っている妻の千順さんとの結婚式を思い出します。私達は、披露宴だけをしました。当時は、家族だけで結婚式をするようでしたので、金銭面を考えてカットしたのです。その代り、豪華でした。そんな思い出が、よぎるのです。それから、何十年も経って、息子夫婦の結婚式です。感無量なのです。私達夫婦が結婚してからの道のりは、険しいのです。悔しさ、憤りと幾重にも、その足跡が残っているのです。敢えて、険しい道をいきながらも、一つ一つ責任を持つために、使命感を優先させました。そして、その険しい道を、妻の千順さんは、同伴してくれたのです。あらゆる苦痛を乗り越えてきました。辛い心境で歩みを止めようと思った事は、何度もあるのです。一つの峠を越えたら、また大きな峠があって、何度も谷底に叩き落されながら、這い上がっていったのです。その苦難の道は、誰にも理解する事などできるものではないのです。
 結局、仙台の実家の跡継ぎになったのです。両親の願いも大きかったので、大学院にも通い、国や地域に奉仕活動をして、地域の篤志家として歩み続けたのです。もちろん、極真会館宮城県本部を開設し、多くの弟子たちを育て上げ、弟子たちも世間に恥ずかしくない、人物として成長したのです。心がけたことは、人に迷惑をかけるような、問題を起こすことなく、多くの人の為に活動する事でした。その為に、自分自身が問題であると、戒めたのです。私に降りかかってくる悲しみを乗り越えて、より良い道を探し出し、正しい道理を見出すようにしたのです。
 今こうして、息子夫婦の結婚式を、挙行するうえで、悔しさと無念さに打ち勝つ忍耐を、失わないようにいという原点にして欲しいのです。どのような患難も避けることが出来ないのです。ただひたすら闘っていくだけなのです。その先は、神のみぞ知るという事なのです。あらゆる試練の峠を越えてこそ、祝福が決定されるのです。天を掴み、地を掴んで、自然の中で涙を流すのです。息子夫婦も、離そうとしても離れることが出来ない、そして、あらゆるものが動じ静ずる事が出来る、愛情の絆を持ったのです。千差万別の中で勝ち取った愛であり、二人で一身に備えて、表現する事が、出来るようにと願うばかりです。