2016年8月6日(八段語録2862)
決断(6)

 テーモーリジャン家族と、私の家族が、結局のところ、国際家庭である息子夫婦を育てて守っていくという役割を感じるのです。世間で見聞きするような、国際カップルは、親の反対を押し切ってという事が、事例として多いようですが、両家は最初から賛成なのです。そしてお互いの家族が、祝福している訳です。このような国際カップルとして、息子のように歩む人生とうものは、とりわけ、国を最初から越えている夫婦ですから、国境も人種も肌の色も問題ではないという事です。まして、孫の士紀雅が、アメリカと日本の国籍を所有して、最後は、どの国でも選択する事が出来るのです。そのような意味でも、二人のカップルの、これからの運命が、どのようになるのか、他人ごとのように興味津々なのです。もう籍を入れてから七年の歳月もたっているのです。まして孫が誕生したのですから、必ず良き家庭を、成就して欲しいものです。もちろん、日本人同士の私達夫婦とは、全く違った現象が現れると思うのですが、二人の能力を高めて欲しいと、老婆心ながら思うのです。
 息子と聖義と茂奈の上に、家族の愛情だけが漲るように許諾してくださいと願うばかりです。何でも壊れることは一瞬です。しかし、積み上げていくのは一生涯かかるのです。その責任を担っていく、二人にという事です。当然、教育も環境も全く違ってきている二人なのです。それが、世間的な考えだけで、推し量る事のない、心の動きに従って、行動する事が出来るようにという思いです。夫婦間のトラブルで、性格の一致とかという事や、家庭内トラブルが起きないように、お互いに、助け合い、たえず希望の気持ちを、抱くことが出来るようにという事です。夫婦は絶えずお互いの礼儀や、思いやりの法度で、心が喜ぶものです。そのようなレベルを生活の中で、関係を結ぶかという事が必要であると思うのです。お互いの気持ちが、愛情を備えることが出来るようにと祈るのです。
 ところで、今日は、私が運転して、両家は、市内観光に出かけました。まず初めに、国際センターのある、広瀬川から 青葉城に向かいました。天候も良く晴れていて、太平洋まで澄み渡って、眺めることが出来るのです。勝手ながら、仙台を開いたのが伊達政宗であり、その家臣の末が、私であるという事も説明しました。杜の都仙台とう、深い緑に染まる街並みを眺めてもらい、広瀬川からの街並みまでじっくり眺めてもらいました。定禅寺通りでは、近くの教会から足を運んで、ウエディング姿の、新婦も見かけることが出来ました。市内見学は、午後から、親父として、結婚式場でスピーチをしなければならないという事もあって、体のコンデションを整えるのと、スピーチの原稿作成という事にしました。
 夕方からのスピーチ作成が実に大変なのです。いつもブログをアップするときには、そんなに悩まないのですが、今回のスピーチだけは、妻からの横やりで、スピーチを短くするようにという事や、端的に表現する事等、妻の要求に押し流されてしまって、手が付かない、状態になってしまったのです。自由に表現する事をモットーとしている私でしたが、妻からの一言は、ノックアウト寸前という事です。若き日は、妻の横やりなど何のそのでしたが、今は一心同体という気持ちになります。それ以上に妻なしには生きられないという事なのです。結局仕上がりは、夜明けという事でした。