2016年8月2日(八段語録2858)
決断(2)

 朝八時五十分に、アムステルダムから成田に到着しました。会長と共に、流山の和風ファミレスに入っていきました。ヨーロッパでの食事に飽きてきたので、基本的思いは、日本の料理が食べたくて、「うな重」を注文したという事です。それから、会長宅にお伺いして、荷物を全部下ろしたのです。すぐさま、テーモーリジャン家族を迎えているという事で、一路仙台に向かいました。息子の嫁さん家庭が全員来仙しているのです。そして、主人の私がいないようではいけないという事なのです。ちょっと車のスピードを上げて、四時半には到着したのでした。機内では一睡もせず、更に三百四十キロの距離を走る訳です。高速道路の売店で販売している、カフェインの入ったドリンクを、一気飲みして、帰路に一直線でした。もう少し、ゆっくり成田から車を走らせたかったのですが、大切な茂奈家族を迎えているという事で、意を固めて、車を走らせました。
 気が付けば、私の人生は、こんな事の連続なのです。休めるかと思うと、次に目的が出来て一直線なのです。今日の日のように、日々は走っていく事に何の躊躇もないのですが、肉体との微調整は必要になる年齢に入ってきています。これも還暦を過ぎてからの対応です。力はそんなに無いのですが、私のこの姿勢で、一挙に階段を走りぬき、飛び越えていくという姿勢になってしまうのです。人生も終わろうとしている晩年にあたるのですが、私には突っ走るという事に関しては、年齢とは無関係のようなのです。
 さて、私の生き方は、言うまでもなく列外という意識で歩んできました。その生き方は、決して世俗に酔いしれないのです。また快楽の深い眠りに、落ちていくという事もないのです。確かに社会貢献という事を前提にしているのです。それだからと言って、「罪悪や犯罪と共に在り」という姿勢では決してないという事です。別に江戸っ子ではないのですが、嫌な事は嫌なのです。宵越しの銭は全く持っていなくても、何かやってやろうという意識は強いようです。特に私の能力に関しては、限界があるという事を自覚しているのです。それだけにしがみつくように、極真と共にという精神が、結実しようとしているのです。それが、一身に、絡みついてくる諸悪を排除しようとする能力と、光明を得て、繋がったという事です。
 確かに、極真の道しか歩むことしかできないのです。他の道を開拓しようとも思わなかったという事です。それを強気に捉えて、選ばれて極真の道を歩んでいると意義付けているのです。モノは言いようです。結構、挫折や敗北が、この道で、大半を占めているのですが、それでもこの極真精神を、足げにして生きることが、無いように心得たのでした。最終的に武道精神の、完成させる存在であると、位置づけているのです。その為に何をするかという事です。取るに足らない私であることは、重々承知しているのです。進みに進み、闘いに闘いを実践し、何に対しても負けたくないという気持ちを抱くようにしているのです。もちろん、スーパーマンで無いので、この極真という分野での戦いに絞っている訳です。死ぬまで最前線という姿勢は、変わらないのです。これが私の生活指針にしているのです。無限に可能性ある人生に対して、私の場合、極真に限定するという姿勢を取ったのです。大胆な事です。それも、中途半端ではなく、真剣に取り組むという決断をしたという事です。このような姿勢は変わらないという決断は、若い時から今まで続いているのです。