2016年8月1日(八段語録2857)
決断(1)

 ノートルダムのホテルをチェックアウトして、ピーター先生が、アムステルダムの空港まで、送ってくださいました。しばらくして、KLMエアラインの飛行機に乗り込みました。少し飛行機は遅れましたが、無事に離陸したのでした。機内では、ヨーロッパサマーキャンプの報告書をひたすら書き続けました。出発から到着まで、およそ一万字、原稿用紙二十五枚分に及びました。内容を読み返してみると、極真会館という、切り口が全てであるような、表現ばかりです。私自身の心境を、物語っているのでしょう。こうして、文章を書き続けられるのも、この道を歩んでいるゆえにという事です。世界は広いし、世間も大きいのです。その世界と世間を相手にして、極真だけを中心として、人生を歩んできたという事ですから、冒険でしょう。極真が、私を捕まえて、離さなかったという事にしているのです。実際は、しがみついたのです。武士道なる極真精神は有難いのです。何故ならば、稽古をする中で、邪心は、いつしか消え去り、心と肉体が調和するのです。心に肉体が、ひれ伏したような形にでもなるのでしょう。神殿や寺院になった境地という事です。何のやましいものは無いのです。
 それは、私自身人生を悩みながら、長いトンネルを潜り抜けて、出会った鉱脈であり、希望を持って、人生を歩むことを許されたという事として、謙虚に心を砕くのです。人知れず、先輩達のいじめもありました。様々な蔑みを受けたこともありました。それでも希望の道として、肉体の練磨に励んだのです。その稽古に耐え続けてきて、今があるという事です。取るに足らない私が、継続するという決断を、決して変えようとはしなかったのです。選手になって、全日本に何度も参加しました。その参加の動機は、忠義ある志操を持とうとしたからなのです。毎回のように全日本に参加する、私を見るようになると、尊敬の念を抱かれるという結果も、生まれてきたのです。それ故、昨日も今日も明日も、先輩としての自負心を持ちながら、先輩としての誇りを胸に、日々精進してきたのです。
 当時、本当に極真の門を叩く人は多かったのです。しかし、私のように最後まで残り続けた道場生は少ないのです。ここが勝敗の分岐点であり、誰にもできそうで、できない、最後まで残るという決断なのです。そして、残るという事は、極真だけを中心として生きるという決意なのです。このような気持ちを持って、継続した人は、ほんの一握りなのです。多く道場生は、腰掛のようでした。大山総裁の命令に、頼ってここまで来ることが出来たという事です。明日の事は思い煩わず、今日一日で全てを完結しようとした、結果という事です。振り返れば、この決断が人生を決定したのです。結局この決断が、優しく保護して下さることになったし、守られたという事です。
 道場生に対しても、一言表現しようと思うのです。心配な気持ちを解いて、「この極真に身を任せなさいと」。自分の人生は気掛かりなものです。今こそ極真を抱きしめて、あらゆる力を尽くして、闘うとするならば、一条の光に向かっていく事が出来ると思うです。私は、かつて若かりし青春を、全て投入しました。そして、今は、勝利の祭壇があり、栄光の祭壇があり、義の祭壇があるのです。誰にもこの祭壇は、奪われることは無いのです。