2016年7月28日(八段語録2853)
ヨーロッパ遠征(4)

 ヨーロッパのボーダー会議を終えた次の日、更に稽古は続くのです。十時からの基本・型の稽古は、また私の指導という事になりました。実際に組手に使う、上半身のパンチを中心に、攻めの基本を、展開させてもらいました。あっという間に一時間が過ぎてしまいました。ところで、このヨーロッパボーダーは、第一回のサマーキャンプをポーランドの、ゲネック師範のところから始めました。最初は会長一人日本から出かけて、アラン師範の指導を見守ったのです。そして、二年目からは、私が指導に参加するようになり、三年目は北海道の今井師範も加わるようになったのです。三年間の礎を築き、それからベルギーにて、毎年開催するようになったのです。その間、アラン師範は、精力的にヨーロッパ・ロシアを巡回指導しながら、基盤を形成していきました。ベルギーで始めると、オランダでヨーロッパ選手権大会を、二回もアラン師範が中心となって、ど派手に開催したのです。それからもう止めることが出来ない、勢いが生まれて、いよいよこれからという時に、アラン師範は逝ってしまったのでした。という事は、会長と私がアラン師範の努力の成果を、十年に渡って観続けた、証人になってしまったという事なのです。
 さて、このヨーロッパの指導者として、アラン師範を選んだという事は、手塚グループの最大の功績であり、アラン師範には、感謝と賛美と感謝しかないのです。別に表現するまでもなく、開拓者としての尊厳を持って、指導したアラン師範が、忽然とあの世に旅立ったのです。それだけに、ひれ伏して、アラン師範の伝統がゲネック師範に、受け継がれて発展する事が出来るようにと、願うばかりでした。もちろん、このサマーキャンプを天国から、喜んでいるのだと思うです。稽古会場には、アラン師範の写真とガデム師範の写真を掲げていました。その写真を目の前にして、アラン師範の事を思えば思う程、心に申し訳なさと、これからゲネック師範が、背負っていく広大な理想に、期待をしてしまうのでした。
 ところで、手塚グループは、他の分派より、劣っているという気持ちは全くないのです。最終的に、手塚グループの理念が、数多い分派の団体よりも、天によって保護されながら、最高に発展していくのではないかという、予感が遮るのです。無知で世間知らずの指導者を家族というカテゴリーでまとめ上げ、コミュニケーションと、自然を愛する理念は、無条件に発展の余地を、広げていくように思うのです。私もヨーロッパボーダーの責任者と会話をする中で、対話の必要性を、十二分に悟るようになりました。今度は、会長からスピードラーニングを借りて、徹底的に英語の勉強をするという、決意をさせて頂きました。そうしていく事が、夢を叶える事になるし、天地の恵みが手塚グループの、理念と共に付与されるのではないかと思えるのです。これから、ヨーロッパボーダーの責任者との、コミュニケーションができるようになり、無限にほとばしる愛情を持って対処できるようになりたいと痛感させられました。すべてが、家族という愛の御手にあるように、指導したいという欲求に駆られるのです。
 そのような気持ちで、会長と共に、この日を送らせてもらいました。会長はこの日まで歩行器で歩いていたのですが、疲労が極度に達し、車椅子にチェンジしたのでした。