2016年7月25日(八段語録2850)
ヨーロッパ遠征(1)

 会長宅に午前9時到着、愛車プリウスで一緒に成田空港まで、一時間ぐらいなのです。常磐道から円央道を通過すると、ノンストップで行けるようになったのです。車の中で、会長とヨーロッパの事を話すのです。何故か気持ちは共有して、一緒なのです。去年、私は仙台市会議員選挙でいけませんでした。また、会長も薬の副作用で、下血をして入院を余儀なくされたのでした。そんな昨年でしたので、今年の意気込みは、お互い心に期するものがありました。折しも、ヨーロッパでは、去年行けなかったという事で、様々な問題も生じました。アラン師範が一昨年死去してたのもつかの間、去年はヨーロッパボーダーを引き継いだ、ガデム師範が、突然死去したのです。本来ならば、当然この事態を収拾しなければならないのですから、ヨーロッパに向かわざるを得なかったのです。それが出来なかったのでした。それで三代目のヨーロッパの議長として、ポーランドのゲネック師範が、今年から新体制で、出発する事になったのでした。その体制固めという事もあって、しっかり活動の動きをチェックするという意味が今回のサマーキャンプはあったのでした。
 さて、成田空港に到着すると、出発前に、アメリカから伊藤師範の連絡が入ってきました。旅券の期限が五日短いので、搭乗を拒否されたというのです。結局、訪問は、会長と私だけになったのです。結局、トランスレーターの伊藤師範を、欠いた訪問という事でした。それでも気持ちを正して、オランダエアラインに乗り込みました。ヨーロッパでは、道場の行くべき道を見出すことが出来ず、彷徨してしまったのです。責任者の中で離れていく人が現れたという事です。結局、手塚グループを、不信してしまったという事です。それ以上に、立場のある師範が、芳しくない分派の団体から甘い汁を飲まされたのでしょう。外れていってしまったという事です。そんな甘い汁の中で、いずれ利用されて捨てられるのは目に見えているのです。気づかないという事は、愚かであるとおもうのですが、経験してみなければ分からない事です。再び返ってきた時には、温かく迎える準備だけしておこうという事です。
 ところで、会長と私が行く目的は、このような状態のヨーロッパボーダーを収拾して、ゲネック師範を議長として、伝統を再び確立するという事なのです。ヨーロッパの師範の心を収拾し、方向を定めて、あるべき道を行けなければならないという事を、決心させるという事です。その在り方が、正しいかどうかをチェックするのです。私達は、サマーキャンプの全てをこの目で見て、次の機会に訂正するという作業をするという事です。上から目線で、行くべき道を教えたとしても、反発があるかもしれない事です。今回はじっくり、チャックするという所に留まるという事です。問題は、ヨーロッパボーダーが、バラバラになるという事ではなく、進むべき道を、しっかり提示するという事に他ならないのです。このように処理する道と、位置と進むべき方向の提示という事になります。会長が願われる基準にヨーロッパを、合わせるために、私の役割があるという事です。そのような意味では、自らの膝をつき、頭を下げて、誠意を尽くす、サマーキャンプの期間にならなければならないという事になります。
 ヨーロッパボーダーが会長の気持ちのレベルまで一致させるという事です。その価値を見出し、論じていく事が出来ればと思うのでした。そんな事を考えているうちに、アムステルダムに到着です。