2016年7月23日(八段語録2848)
渇望(19)

 朝早く、妻の千順さんと娘と三人で千葉に向かって出発しました。仙台から高速常磐道を通って、友部インターまで三時間、それから高速円央道、成田を経由して一時間、休憩を入れれば、五時間で千葉市に到着です。末の娘は、大学一年の時に、病状が表れて、六年の間苦しみましたが、千葉の大塚クリニックに通うようになって、二か月が過ぎ、すっかり元気になってきました。もう運転免許証を取りたいとか、大学に復学したいとかという事を口に出すようになってきました。娘の病状の回復が、すこぶる良く、回復状態があまりにも良好なので、両親としても驚きを禁じ得ないのです。娘の栄光と子女としての名分が、保たれたような思いになりました。夫婦で、娘をどのように扱っていいか、悩みぬいた時も今では嘘のように夢物語なのです。妻は、あらゆる医学書を読み漁って、娘の回復に努めていました。私としても取るに足らないのですが、足らない事をしっかり自覚しながら、娘と向き合ってきたのでした。
 さて、本当に子育ては、これほどまでに大変な事であるというのを、六年の間、娘の事を片時も離れることがないように、愛情を注ぎ続けました。時には、娘の病状に、さじを投げたくなることもありましたが、親子はどんなことが在っても、離すことができない、絆であると、自分に言い聞かせる毎日でした。愛情は自己撞着を繰り返し、骨肉に染みて感じるようになったのです。そして、五月の中ごろから通うようになった大塚病院で、コンサータという新薬が、娘にズバリ的中したのでした。そして、今回が三度目の来院という事です。院長は、病状を的確に把握して、三回目の今日は、娘も積極的に尋ねていました。その回復ぶりは、驚くばかりという事です。先祖から受け継いできた、森家ですから、先祖から伝わってきた、伝統や血統を汚してはならないという、気持ちが強かっただけに、安堵の念が全身を通り抜けたのでした。
 やっと親として娘の前に、誇るべき何かしらの、自信が芽生えてきました。先祖からの骨と肉と血を受け継いでいく、難しさを感じながら、愛情の限界を感じながら、現代医学とのマッチングで回復を見たのでした。私達夫婦で喜び、今まで尽くしてきた愛情が報われたように思ったのです。再び、夫婦としての広い、深い愛情に、娘を懐に抱くという現実に、何とも言えない、感動を受けたのです。妻は、腹を痛めて生んだ娘であるという事もあって、日々必死でした。それが報われなかったら、本当にどうなるのかと、夫としても心配する事が多かったのです。病状が回復してきている娘は、この上なく善に造られた存在あるのです。これからも決して、娘に対して、嫌になるという事は無いという実感をさせて頂きました。無限に広がる娘の可能性を、これからあらゆる要素と部分を理解して、これからの人生、六年間の悔しさを乗り越えて行って貰おうと思うばかりでした。
 夫婦が愛情を持って、授かった娘だけに、夫婦の骨と肉と血の細胞一つ一つであると思って、娘としっかり対峙して、潜在的可能性を引き出していきたいという思いに駆られるのです。今まで、娘の病状を掻き分け、しがみついて、改善の道を歩んできたのですから、取り戻した健全な心身に、新たなる希望を抱くことができるように親として協力していきたいと思うでした。