2016年7月22日(八段語録2847)
渇望(18)

 私が生まれて、その後に産声を上げた極真会館でした。極真会館の草創期に、私は、出会ってしまったのです。深い因縁めいたものを感じるのです。私が十代初めには、存在していなかった極真会館が、二十歳前後に私は、出会ったのです。不思議な気がするのです。知らず知らずに、この団体の存在を、どれ程に待ち焦がれていたのかという事に、気が付くのです。それまで、歴史上に極真会館は無かったのです。私の親父であっても、出会う事が出来なかったのです。親父が生きていたその当時は、極真会館はなかった訳です。まして、伝統空手と違って、実践空手であり、フルコンタクトであるという、革命的な伝統を打ち立てたのです。その団体に草創期に出会ったという事ですから、全く新しい存在と、触れ合ったという事になるのです。その団体に所属してから、もうすでに四十数年に及んでいる訳ですから、私の人生と、極真会館の歴史はダブってしまうのです。以前にはなく、私の人生と共に在り、そして先輩になりうる立場で、歩む続けている訳ですか、気持ちラッキーという事でしょう。
 さて、どのように生きて行って、良いのか分からない人生に、背徳の道を歩むことなく、悪なる世界に引きずられることも無く、しっかり前を向いて人生を歩めたのも、この極真会館の恩恵である事には、間違いないという事です。要するに、捕まえて貰ったという事です。極真会館に出会って、新しい生命のように躍動し、歓喜の復活を遂げたという事でしょう。今日まで、地上に生まれて逝った人もたくさんいますが、この極真の道に触れる事が出来た人生に対して、感謝の何物も無いのです。幸い、天と地を恨むことも無く、親を罵ることも無く、しっかり前を向いて前進できた人生は、この極真会館のお陰なのです。そう考えると、上下・前後・左右に私は極真会館に、結ばれた存在であるという事になるのです。極真会館というあるうわべの団体ではなく、心中深く染み入ってたのです。そして本来の自分自身を覚醒させ、人生を楽しむことのできる、何物かの心を欽慕するようになったという事です。
 ところで、その当時、私の友人たちは、複雑な闘いの人生を歩んでいたのです。実に不確定の人生に自信を失いながら、不条理と闘っていたわけです。それが、私の場合、願われる望みの姿を探し出すことができる、光明を得てしまったのでした。「私」が、「私」として生きる道を見出したのです。そして一人きりではなく、極真の仲間たちの存在を強く感じながら、切磋琢磨することができたのでした。このような絆は、なんとなく、完全無欠な一つの目的の価値、あるいは人生全体の目標を得たのでした。そして、私自身を急き立てたという事です。本当に悪い事をすることなく、倫理・道徳に沿って歩むことができました。気が付けば、自らの全てのものを投入して、自分自らも忘れてしまう程、光り輝く歩みをしたという事です。これが今となっては、慕わしくてたまらないのです。確かに、時代に受け入れられたかというならば、それは疑問ですが、反対を受けても、楽しい思いがしてならなかったのです。そして、人生を振り返る今の時も、悩み苦しんだ人生というよりは、心豊かな人生であったと強く思えるのです。怪我をして、悲惨な状況になっても、精神が充実していく実感は、失われなかったのです。
 このような、人生は、感謝の何物でもないという事です。