2016年7月20日(八段語録2845)
渇望(16)

 及川社長と息子さんが師範室を訪れました。いつも一週間に一回、座学をしているのです。今回の話は、自己管理の話になりました。自らを正すという事をメインの講座でした。第一に、肉体の欲望に負けないという話です。衣食住性の生活をどのようにするかが極真の魂に近づくかという事を話ました。基本的には、食べる事、寝る事、着ることを削って、目的に向かわなければならないという事です。特に独身の息子さんには、性的な欲望を管理する事が成長のカギという事です。酒浸りの生活の中からは、活力は見いだせないという事です。第二に、自己管理が出来たならば、どのような目標と理念を持つかという事なのです。無駄な事をなるべく削除して、人として、人格を磨くこと心がけ、家族を支え、社会に貢献するのが当たり前の生き方であり、人間として不変なレベルであるという事を話ました。ちょっと厳しい指摘になりましたが、快く受け入れてくれました。理になかった事をしなかった時には、必ず、清算される運命を免れないという事です。それを、この講座でしっかり学んでいただきました。四月から始まったこの座学も四か月にもなります。武道精神をしっかり習得してもらうという事、そして生きがいのある人生を歩んで貰おうと思うでした。
清算される運命を免れないということを、
 人は、自分だけの為だけには生きられないようになっています。多くの人の為、つまり自分を磨くという事は、生涯にわたって、貫かれているという事を悟ってもらうのです。人生は短いのです。自分自身の為に生きるとしたら、それは誰も認めることが無いという事です。何故ならば、それはその時代誰もがしているからなのです。そうすれば、為に生きるという事が、多くの人から支持されるという事になるのです。もちろん、そのような人生は、苦労の山そして、困難が付きまとうのです。それでも「為に生きた」人が、多くの人が聖人や偉人として認めるという事です。極真空手の精神は、自分の為だけに修行をする人を求めないのです。社会の為に生きてこそ、苦労が報われる道を示すのです。そして、敗者になるのではなく、極真の修行を通じて、勝利した存在の姿になるのです。
 空手の修行は、「為に生きる」としても、決して潰れることのない精神を養うという事になるのです。このような内容を、この道場では指導するのです。その姿勢を自分の人生に符号させ、個人の人生の目的を成就するための、一つの祭壇のようなものです。そこで一生懸命自分を磨くのです。そしてその磨いた人格を社会に捧げようとする準備をするのです。この内容が世間に認定され、一人一人が、勝利の祭壇を築き、社会に役立つ人間になる事を決意させる団体でもあるのです。
 そのような高尚な目標を立てて、色々な業種の人達が自らを切磋琢磨しているのです。もちろん、極真空手の伝道者としての生き方をする人もいると思いますが、それはほんの一握りという事です。多くの人が、この社会を、そして日本に貢献できれば、私達の役割は果たせるのです。これは、決して政治的な事ではないのです。あくまでも、「人の為に生きる」精神力をどれだけ強く身に着けられるかという事が、空手修行の本質的な目的という事になります。それで、人として、立派になったと思われるというものです。