2016年7月19日(八段語録2844)
渇望(15)

 小学校は、夏休み前の最後の授業という事で、北山事務局長と共に、新田小学校に出向き、児童に極真空手の紹介をしてきました。新田小学校の教頭先生が、一緒にいてくれました。七月は、順調に新規入門者が来場してくださり、10名の道場生が新しく空手を始めるようになりました。いつも極真会館宮城県本部に愛情を注ぎ、心が通じる道場にしようと、たゆまぬ努力をスタッフ・指導員でもって、対応しているのです。かつて、心を一致させることができず、道場の方針に対して、別の集まりを持ち、その結果、道場に対しての、不信と不満を覚えて、新しく派生した指導員達がいました。結局私達の道場から離れていきました。そのような過去を持つ道場としては、菅野師範を中心として、道場に愛情を注ぎ、道場を慕わしく思いたいのです。そして、いつも極真精神を横に置いて、道場生と共に、地域社会を盛り上げ、共に道場での修練の、成果を楽しむことができるようにしたいのです。
 さて、極真会館宮城県本部は、たゆまぬ努力をし続けて、道場生一人一人が努力して、喜んでいく姿を、表現してきたのです。武道という切り口が、今の青少年には必要であるという事を訴えている訳です。二十年の歳月がたって、それなりの成果を、表すことができるようになってきました。まだまだ目標が高いゆえに、苦労の道もいとわず、推し進めていかなければならない立場です。理想の道場を目指して絆を結び、残された目標を、慕わしく思いつつ、徹底的に、未来の道場を見つめていきたいという、気持ちになります。私は、極真空手でもって、青少年を教育していこうと立ち上がった訳です。それも、ただ立ち上がったのではなく、教育した道場生の、未来を見つめて、心から慕わしい気持ちを添えて、歩んでいるのです。実に純粋な気持ちは今も続いているのです。
 ところで、極真の道を行く指導者としての立場は、創始者、手塚会長、そして私という事で、今は極真三代目という事になる訳です。先駆者の苦労は、共に歩んできましたので、骨身に身に染みています。そして、先駆者の威信をしっかり立てさせてあげることができるように、歩むという事です。決して泥を塗る事がないようにしたいのです。もちろん、四代目になる、菅野師範へと続けることができるようにしたいのです。そのような威信を継続して、たゆまぬように推し進めて行きたいのです。そのような意味では、現状に不足があるならば、それを私のものとして、引き受けることができなければならないと思っております。まだまだやる事は、無限にありそうです。創始者の心と通じ、手塚会長の心の相対となって、困難は私が引き受けるという、覚悟を持たなければならないという事です。それ以外の見栄や外見は全て蹴落とすのです。極真の発展の恩恵を築くことを願い、それを感じなければならないという気持ちになります。ここで崩れてはいけないという、三代目としての役割のターニングポイントに来ているという事です。
 その為にも、新しい気持ちを抱き、心の本質を絶えず維持する事が出来るようにと願うばかりです。そのような意味でも、手塚グループの理念と新しい気持ちを添えて、道場の発展と関係を結ぶことができるようにと願うばかりです。一つの基準は出来上がりそうです。誰からも後ろ指差されないような、清廉な運命に身を委ねることができるように願うのです。