2016年7月18日(八段語録2843)
渇望(14)

 海の日、釣りに行きたいのですが、こじらせた風邪は元通りの肉体には、まだ戻してくれないのです。それでも気力だけは、衰えさせてはならないという気持ちなのです。そして、パソコンに向かって、何かを表現しようとしているのです。風邪は不思議なもので、肉体の辛さはあるのですが、頭は至って聡明なのです。私の歩んでいる人生の一時、砂時計のように日々を刻んでいるのです。どのぐらい砂が、上部に残っているのかは定かではないのです。しかし、一粒一粒落ちる砂に成り代わって、確かに刻んでいるという、実感をするようにしているのです。その一粒の砂に、新しい気持ちを持たせ、今日という一日と関係を結ばせようするのです。こうして、一日を表現しようとする私は、心で慕い、憧憬するような望みを抱くのです。この道場に対しては、特に理念で形成しているだけに、希望を望みの道場にすべく、心で見つめているという事です。
 さて、まだまだ、素晴らしい道場であるという、評価をして賛美する人は数少ないのです。敢えて言うならば、私や道場生の、自己満足という事にも成りかねないわけです。評価を願う訳ではないのですが、社会対する業績と実績は、積み上げていきたいと思うのです。祝日で、道場も休みなので、私にとっては、様々心に思い描く時間になる訳です。ここに集まっている道場生たちに、感じて貰いたいという事があるとするならば、極真の道を究めるという事が、どのような事なのかを悟らせてほしいのです。その感情の実感だけでも、体験して欲しいのです。もちろん、道場生の生き生きとした姿が全てであり、その姿を演出しようとする理念に誇りを持ちたいのです。そして、道場に通って修練したことが良かったと、心から思える道場にしたいわけです。そのすべてを、実現させることができるモデルとして、道場生の前には立ちたいのです。
 ところで、私が取る組む内容は、道場生の威信が立てることができる、環境を築くことができているかという事です。創始者の継承者としての自分を、磨いているかという事に掛かっている訳です。行けども、行けども終わりなき、修行の道になっているのです。これで満足と思ったら、人生に悔いを残してしまうである事は、目に見えているのです。こうして風邪を引いてダウンしている自分を見ると、情けなくも思うし、まだまだ回り道しているという本音なのです。そうすると「風邪になんか負けてたまるか」という気持ちになります。苦労の道はまだまだ続きそうです。そして、今日という日と関係を結び、今日という日に闘いを挑み、未来の希望を造成していきたいという気持ちになります。これから道場生と分かち合いたいものは、無限なる望みであり、無限な目標であり、無限に追慕しようとする園であり、ここに建設していきたいという渇望する思いなのです。今は会長と共に、あちらこちらと回りながら、誇る事が出来る極真会館にしたいという事です。私としては、会長と共に歩んだ日々を誇りたいのであり、咲きゆく人生の花が、ここにあると思っている訳です。その草木はしっかりと育ち、青々とした山々になり、流れゆく小川がそばを流れるようになるのです。そのような、心の通じる境地を、これからも築いていきたいという事です。