2016年7月17日(八段語録2842)
渇望(13)
今回、恐れ多くも、増田理事長の大切な油絵の作品を頂くことができ、心から感謝しています。増田理事長が、大切に応接室に飾っていた大作でした。増田理事長との師弟関係は、新幹線の中で増田理事長に出会った時に、「青少年振興協会の理事になってくれ」とお願いされた時から始まります。その時から、不足な私を大切にして下さいました。四十歳過ぎに大学に通うようになったこと、大学院まで通い詰めて修士の資格を得たこと、本当に増田先生が、学者としての立場から、理解を示して励ましてくれました。それにもまして、青少年振興協会として、一緒に、年頭の雑誌を出し続けた事が、脳裏に浮かびます。試行錯誤して、毎年出し続けました。忘れることは出来ません。費やした期間は二か月にも及ぶ大作ばかりでした。このような不足な私を指導してくださいました。また、この道の先輩であるという事から、私が話すことに心を砕いてくれました。修行時代の頃の話は、耳をそばだてて、聞いてくださいました。
青少年振興協会を通して、共に、社会貢献できました。足らない私に望みをもたれ、何度も東京の本部に通われながら、理事長としての役割の、山また山を越えていかれたのです。そして、役目を終えられた時に、そのまま、天に召されるとは思ってもいませんでした。その時に、じっと何かに耐えてこられ、真剣に歩んでいた先生であったと思ったのです。そうすると、それに気づかなかった私として、面目が無い事を感じざるを得ませんでした。もっと、私の気持ちが、増田先生の気持ちを、思いやる事が出来たらと悔やむばかりになっていました。今私の心には、増田先生という、一つの人格を備えた思い出が、心の血肉として感じることができます。その一つ一つの思い出を、私の骨髄に染み込まそうと思うのです。
なかなか恐れ多くて、応接室に飾っていた絵画の作品を、頂きに出向くことができませんでした。それでも勇気を出して、妻と一緒に伺わせて頂きました。もう私には、この絵を通じて、増田先生から頂いた、不変な学問に対する姿勢や、人柄を振り返る事しかできないという事になったのです。この絵画が、増田先生と思い、形態を備えているだけに、この絵で、学ばしていただいた全てを、思い返したいのです。不変な心からの指導の影響を、思い返していけると思うのです。大震災も踏み越えて、指導していただいた内容を一つ一つ、私の細胞の一つまでも、染み込ませていきたいと思うのです。
本当に心から、愛情を私に注いでくださいました。増田先生は、屈託ないお姿で、気さくに、私の過去の苦労の全てを聞いてくださったのです。そして、この道の先輩と見てくれたのです。それだけに、青少年振興協会として共に歩んで下さった期間は、私には宝物なのです。天に従って行かれた先生の姿が思い出されます。誰よりも、私にとっては、自信を持って信頼できる大先生でした。この絵画は、道場に掲げさせて頂きます。私の渇いた心を捕まえて、癒してくれるはずです。増田先生が、この絵の武者の姿で、生命を持って、あらゆる苦境で、接ぎ木してくれるはずです。もちろん、私に新しい生命を躍動させてくれるようです。このような書面を出させていただきました。本当に、増田先生は、例え天国に召されたとしても、私の心には永遠に残る先生なのです。作品を大切に道場に飾らせて頂きます。