2016年7月16日(八段語録2841)
渇望(12)

 極真の伝統を求めて、手塚会長に出会って、生命を受けたように思うのです。私が、あちらこちら歩き回り、極真の生命の伝統に、再び立ち返った時のパワーは、計り知れないものがあるのです。もちろん、色々な道を知っていれば、それに越したことは無かったと、言われてしまえば、最もなのです。しかし、青春時代の全てをこの道に投入してきた私には、この道に、ひれ伏さざるを得ないのです。そしてこの道から多くの悟りを得たのです。還暦を過ぎてからもこの道に従って、極真の、道着を身に着ける立場にあるのです。この年齢になって、今の立場は計り知れない、恩恵に満たされていると思うのです。この立場は、誰も立てるというものではないのです。大山総裁に出会わなかったら、この立場はなく、手塚会長に出会わなかったら、今の存在は無いのです。そのように伝統もままならない、実践空手という革命を起こした団体なのです。その中核に存在しているという事ですから、あまりにも恵まれています。
 さて、今の苦労させてもらっている立場は、創始者と会長が立ててきた伝統に、保護され、指導される立場なのです。このような立場に立たせていただき、更に導いてくださっている訳ですから、この恩恵の前に何を持って、報いていくかという事なのです。実勢は、報いるなにものも、備えられないのです。ある意味で、現実は会費と審査料ぐらいという事です。経済的なものに貢献したとして、恩恵に報いることは出来ないという事は、百も承知なのです。そのような意味では、会長に足を向けて寝る事などできないという事です。そのような意味では、会長が願われていることに、心を捧げるという事なのです。
 ところで、会長は、事あるごとに、大山総裁が亡くなってからというもの、遺族を守って、裁判をしながら、湯水のようにお金を使って、守り抜いた話をしてくださいます。それも、その時の壮絶な戦いの内容を、話してくださるのです。その話を聞くたびに、頭を上げることができないように思ってしまいます。私がそれだけの事を、してあげることができるかというならば、不足であると言わざるを得ないのです。そして、私に関して言うならば、もう十数年前から、ポーランド、ベルギー、ロシア、アメリカ、カナダと、世界の道場生に合わせて、「これが森師範なのだ」と世界に証してくれたのです。世界巡回を毎年なされ、付き人の私を、世界に示してくれたのです。ここまで育て、導いてくださった会長に対して、私が頑張らなければならない、責任もありますが、それ以上に、今の会長を支えたいという純粋な気持ちになるのです。
 私自身の性分は、極真空手の修行が、骨身に染みていますから、二心は無いのです。まして誰かを天秤にかけて、損得で動くという事は、全く考えられない発想になる訳です。その気持ちの延長に、「栄光の一時をご覧ください」と思えるようになりたいのです。会長の事情があり、願いと希望があるのです。それを叶え上げることができる弟子でありたいという事なのです。今日も会長に電話をすると、リハビリから返ってきて疲れている様子でした。そして、「夢がなければ、生きていいても何の面白みがない。」と話されながら、「気持ちの良い家族にしたい」と何度も話してくれるのです。そのような恵まれている、師を持ったという事に誇りを持つのでした。