2016年7月13日(八段語録2838)
渇望(9)

 眠りから覚めると、咳き込むのです。清水外科で貰った風邪薬も無くなっていました。本当に今年の夏風邪はしつこいという事です。肉体が弱っていても、本来の自分はこうではないと言い聞かせています。風邪も治るものであるという、概念でいましたが、風邪がこじれていくという事もあると発見です。それでも、パソコンに向かって、無知なる眠りを覚ますように、行動して取りかかろうとするのですから、貧乏性なのでしょう。多くの人からアドバイスを受けるように、ゆったり構えて、病魔の通り過ぎていくのを待つという、我慢でできないようです。再び、溜まったブログ整理して、曜日に応じて表現するという事に、着手し始めました。走り書きに、スマホに表現しているので、それを取り込んで、遅れた分の、書きはじめという事になりました。風邪を引いていても、目を上げて、現実を直視しなければならないという事です。確かに、私の眼は、老眼になったり、乱視が入ったりという事で、視力が落ちているのでしょう。それでも悪くなるだけ、悪くなってしまっても、昼も夜も、休まず、何かを見続けていかなければならないと思うのです。
 心の目では、自分の人生を、見つめなければならないのです。まだ山積みに残されている荷物を、全て見つめていかなければならないという事です。このような気持ちにならない限り、生きているという実感の基準を、探し出すことができない事になってしまいます。このような状態を維持しようとし、再び身体が蘇えらしたならば、取り返してやろうという気持ちなのです。何かギャンブルで失った全てを、一度に取り戻すような気持なのです。自分を冷静に取り戻す目を持とうと思うのです。個人として利害に溺れることなく、組織人として人情に押し流されることなく、理想に徹することができる心を、作っていかなければ、しっかりとした目は育たないという事です。
 疲れが出ても、痴呆症にはなっていないようです。頭の中がくるくる回ります。肉体は弱っているのに、頭脳は明晰なのです。これほどまでに健康に対して、意識した期間は無かったように思うのです。もう少し、気合を入れて、守るべき者を守り抜くという姿勢を保ち、夢のような話をして、そんなこんなの内容を、全て束ねて、人生を力強く歩んでいきたいと思うのです。そうすれば、極真会館宮城県本部を育ててよかったという気持ちになるし、愛情の華を咲かせて、結ぶことができる道になると思うのです。踏み出すことが無い人生で無かったことに感謝という事でしょう。新しい光明の朝を迎え、しっかり眠りから目覚めることができるようにと願うばかりです。私は思うのです。ただの修行団体ではなく、社会貢献団体として、これから排出されていく人材に、賞賛の輪が広がっていくと思うのです。人々が願うような極真会館の成長を、道場生と一緒に歩んでいきたいのです。
 弱っている肉体でも、目覚めることができました。望むことがありありなので、疲れも忘れてしまいそうです。どんな健康状態でも、今日明日と、たゆまず進もうと思うのです。極真という一石を地域に投入しました。多くの社会的貢献をする人物が現れてこそ、地域の蘇りになるし、その働きによって、日本中が良くなり、このような事に責任が持てる極真会館でありたいと思うのでした。