2016年7月12日(八段語録2837)
渇望(8)

 本来の価値ある組織に、極真会館宮城県本部を率いていくかという事に、日々事件はつきものですから、苦慮する事が多くなっています。あくまでもサークル同好会ではなく、修行団体なのです。自らを鍛え、本来の自分の姿を求めていくという事です。つまり本来どのような価値を、持っているかという自分を追求し、表していくのです。そして本来の自分が何であるかという事を、悟るという道を示すところなのです。極真の修行の前に立ち、つまり、道場生としての、本分を悟る事が出来る道であるという事です。その価値ある存在であるという事を、人生を通じて磨いていくのがこの道なのです。私達の心が、極真の修行と連結し、世間に良い影響を与えようとするのです。そのような意味では、修行を続けてれば、後退するのではなく、個性を伸ばして、天性に格上げしていくという事です。何故、極真を追求するかというならば、そこに創始者が開拓した切実な忠節、切実な心情、切実な歩みから、湧き出る、品行を備えなければならないという事を悟るのです。
 そのような観点で、城に例えるならば、第一に外堀として、肉体の強化が極真には願われるわけです。誰よりも強い肉体を、日々稽古の中で練磨していくのです。この作業は地味であり、目立たないのです。しかし、十年もしないうちに、稽古を続けているならば、素晴らしい、極真ボデーを作り上げることができる訳です。本来の自分の肉体は、鍛え上げればどうなるかという事を、実証するのです。それは、日々新しい覚悟を持ち、日々出発するという気持ちでなければ、そうやすやすと肉体は、磨かれるわけではないのです。
 第二に、内堀です。ここでは、極真の魂という世界を踏襲しようとするのです。肉体は鎧ですが、魂は、どのような状況でも崩れないという、精神力なのです。ここでは、様々な試練が待ち受けています。マイナス思考は禁物です。そんなに批判を受けても、乗り越えていく勇気が必要です。外的な中傷はまだ耐えることができます。自分との戦いは、熾烈を極めるのです。私が取った戦略は、貧しい状態を維持する事でした。食べる事、寝る事、着る事、性的欲求に負けない事という事でした。誘惑は、どのような形でも迫ってくるという事です。それに対する対応能力を高めて、精神を高揚させていく事でした。
 第三に、城の本丸になる訳ですが、個人プレーが全体を崩壊するようでは、何の益にもなりません。私達が目指している、本丸である家族思想は、決して誰をも引きずり落とすことなく、兄が弟を面倒みて、兄弟姉妹が共に手を携えて、越えて行く道という事です。そして、リーダーとしての父親役が、雌鶏が卵を温めるように守り抜くという事なのです。この団体は、家族主義を徹底しているのです。その修行の一端を、各々家庭に持ち帰って実践して、良い家族を形成するという事なのです。
 第四に、それをひっくるめて守らなければならないのが、礼節であるという事です。この礼節が、家族の絆を強めると同時に、極真の本丸である城を不動なものにしていくのです。そうする事によって、道場生同士の絆が深まり、一つになっていく事が出来るというものです。全ての道場生が、極真会館宮城県本部に繋がり、親しく心をなだめ、いつも訪ねていく事が出来る道場として、維持発展する事が出来るようにと願うばかりでした。